オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

2月26日のメニュー

きょうの献立メモ
Feb26

 

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◾️水菜のゆず酢漬け
サラダにするには気がひける、でもまだまだ美味しく食べられる、という少しだけしおれてしまった冷蔵庫の水菜を活かしたくて考えたメニュー。
塩水に漬けてしばらく置いてしんなりさせた水菜を、水で洗う。手鍋で米酢と砂糖とみりんと醤油を煮立てて冷まし、水菜と合わせてから、ゆず果汁と薄口醤油で仕上げ。黒すりごまをかけて完成。

 

 

◾️大根の紫蘇きんぴら
大根が余っていたのと、ご飯のおかずになるような少し濃いめの味付けのものが作りたくて考えたメニュー。
拍子木切りにした大根を水にさらして、よく水を切る。米油を引いて加熱したフライパンに大根を入れて、酒、みりん、砂糖で炒める。様子を見て醤油を入れ、さらに火にかける。片栗粉をちょっと入れて煮立て、大根にタレが絡むようにする。ごま油をひと回し足らす。火からおろし、炒りごまと刻んだ紫蘇をまぶして完成。サラダ菜などの上に盛り付ける。
ゴマと紫蘇の相性があんがい良い。大根の甘さがかっこう侮れないので、砂糖、みりん、は控えめにする。醤油を入れてから煮過ぎない。片栗粉は入れるときにダマにならないように気をつける。葉っぱとの相性が良い味付けなので、葉っぱと一緒に食べると美味しい。白米とも合うと思う。

 

 

◾️白菜ミルフィーユ蒸し
なんとくもう一品増やしたいなぁと思ってたら白菜と豚肩ロースがあったので作った。レシピはデタラメ。
肩ロースは醤油、砂糖、酒で漬け込んだ。白菜、豚肉、と交互に挟んで、ラップでくるんと包んで、耐熱皿に乗っけて、レンジの200wモードで30〜40分くらい加熱する。中心に一応温度計を刺して、きちんと火が通っていることを確認する。豚肉は中心温度63度で30分、がひとつの基準らしい。
肉に味をつけないと、豚くさい仕上がりになってしまうことを、以前に作ったときに学んだので、今回は気をつけてみた。基礎調味料以外に、なにかハーブとか、香りのしっかり出るものを漬け込み調味液に入れてもよかったかも。

仕上げに醤油を全体に垂らして、なんとなく彩りが悪かったので糸唐辛子を散らした。

 

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◾️野菜と鶏もものスープ
子供の頃によく行っていた中華料理屋に久し振りに行って、いつもそればかり食べていた「塩鶏そば」を食べたら、なんかあんまり美味しくなかったのがキッカケ。たしかにわかりやすい味なのだが、砂糖と化学調味料を使い過ぎている気がした。そこで、砂糖にも化学調味料にも頼らない鶏スープを作ろうと思って考えたメニュー。とはいえ、鶏ガラから炊くのは流石にちょっと面倒だったので、鶏もも肉を使うことにした。鶏もも肉は脂肪分が多いので、適当に調理してもしっとり美味しく仕上がりやすいが、その分アクや臭みも出やすいので、そのあたりを意識して調理した。ネギ、生姜、塩、砂糖を揉み込むようにまぶして、ポリ袋に入れてしばらく放置する。塩は肉の0.8%を目安にしている。よくわからないがなんとなく砂糖も同じ量を入れている。大きめの鍋に水を張り、大根の皮とか人参の切れ端とかネギの青いところとかを適当に入れて沸騰させる。1時間以上つけ置いたもも肉を平たくなるように入れて、まずは下ゆで。軽く下ゆでしたらザルに上げて、フライパンに油をひかずに、皮目から焼く。表面に軽く焦げ目がつくくらいまで焼いてから、また茹で鍋に戻しす。余計な脂を洗い落とすようなイメージ。それから、木製のまな板にのせて、肉1枚を三等分くらいに切る。樹脂のまな板は熱いものを切ると反るのでこういうときは使わないようにしましょう。
スープの方は、水に玉ねぎ、人参、生姜、長ネギ、塩、を入れて、鶏肉な仕込みと並行して圧力鍋で煮込んで置いたものを使う。野菜からかなり甘さが出るので砂糖とかみりんは不要。なるべく弱火でグツグツじっくり煮るのが美味しくなるコツな気がする。アク取りは適宜する。
ということで、洗って切ったもも肉を圧力鍋の野菜スープに入れたら、そこから更に圧力をかけて煮込む。最後に塩、醤油、薄口、などで味を整えて完成。
ふだんはコショウをかけてから食べるのだが、今回のスープは、臭みとか雑味とかにかなり気を使ったので、コショウなしでも美味しく食べられた。

 

 

◾️感想

全体的に茶色っぽい色の料理が多かった気がした。

彩りがもっと欲しいなぁ、とも思ったけど、べつに無理してカラフルにする必要もないのかもしれないなぁ、とも思った。べつに魚料理が嫌いなわけではないのだが、ついつい肉ばかり選んでしまう。なぜだ?? と思ったが、たぶん、魚の方がいろいろとシビアだからかも知れない。火加減とか焼き方とか味の染み込ませ方とか、どうしても大鍋でドーン、というスタイルではうまくいきにくいから、それでついついこういう食卓だと肉料理を作りがちなのかもしれない。

 

#みんしょくとは??
#大暴走
#やりたい放題

球体関節愛花、ZIGEN写真展、ホテルブーケンビリア曙橋、青山通りの夕暮れ

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 球体関節で胴体と四肢が繋がったその女は、裸だった。女のその視線はオレの方を向いている。刺さるように尖ったその目線は、でもどこかに柔らかい感じも併せ持っている気がした。黒々とした髪の毛先が闇に溶け込んでいる。リアルで滑らかな肌の質感と、その滑らかさを突然に破壊する、関節。球体関節が、人の肌のぬくもりを断絶しているかのようだった。
 腹部にも関節があって、そこに見える黒い隙間は何かを吸い込んでしまいそうなくらいに真っ暗だった。作品の名前はEpsilon。股の間には、女であることを示す傷が縦に伸びている。お腹の空洞にもし水を注いだら、その股の傷からは水が出てくるのだろうか。胸の輪郭を浮かび上がらせるやわらかな影。豊かとは言い難い大きさだったが、その胸の輪郭には、安らぎがあった。色が薄く、小さく粒だった乳首がフェチズムを喚起する。
 
 ギャラリーには、球体の関節を身体に備え持ち、いろんなポーズをしている同じモデルの写真がいくつも額装されて飾られていた。Zigenさんに前に会ったのはたぶん5年近く昔のことだったような気がするが、詳しくは覚えていない。どこか郊外のほうであったロケの現場だったような気もするし、家の近所のホームセンターだったような気もする。ギャラリーの一画がバーになっていて、カウンターにはお客さんが座っていて、ドリンクを飲んでいた。まだ日は落ちていなかったが、お酒が飲めるようだった。
 
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 作品名はDzeta。半開きのくち元、髪の間から片目だけ見えている眼。脇腹に浮かび上がる、あばら骨の滑らかな影。半開きのくちからはいまにも言葉が漏れてきそうで、でもたぶんきっとなにも言わないのだろう、そんな感じがした。髪に覆われた顔に浮かぶ表情が、見るものを捉えて離さない。膝をかかえて座り込むその足元には、レースのついたショートストッキングが揺れている。
 
 エロスを超越した何かがそこにあるのを感じたが、それが何なのかが、すぐにはわからなかった。作品を見るという行為は、もしかすると、本質的には、自分との対話をする行為なのかもしれない。作品を見て何を思うのか、何を感じるのか。そんなもののなかに浮かび上がってくるのが、おそらく、自分の本質、なのではないだろうか。人形を模した女の目線に何を感じるのか。人形を模した女のくち元に何を感じるのか。
 
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 そもそも、これはなんのための芸術表現なのだろう。理由なき表現だとか、理由とか意味とかそういうことすらもよくわからない表現だとか、そういうものも世の中には沢山ある。表現する理由、そんなものはどうでもいいことなのかもしれないという気もするし、でも、とても大切なものなのかもしれないという気もする。生活のための表現、それ以外に方法がないからする表現。いろいろな表現の理由がある。球体関節とヌードポートレートによるこの作品展の表現は、なんのための表現なのだろうか。その理由を訊いてみたい気がして、少し迷ったが、なんとなく、それが訊くべきではないないことのように思えて、オレは訊くのをやめてギャラリーを後にした。
 
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 理由なんかないのかもしれないし、あったとしても簡単に説明できるものではないかもしれない。言葉で簡単に表現できるようなものならば、そのまま言葉にしてしまえば済むわけであって、言葉で簡単に説明できないから表現するのであるとすれば、そういう簡単に説明できないようなものを気軽に訊ねるのはコミュニケーションやアートに対するある種の冒涜行為のような気がしたのかもしれない。帰り際に、少しだけZigenさんと話したとき、1杯飲んでっていいよ、と言われたが、帰りも運転があったので、ソフトドリンクがなさそうだったこともあって断ってしまった。炭酸水でもなんでもいいから、1杯飲ませてもらって、さわりだけでもいろいろと訊いてみればよかったのかもなぁ、などと後から思ったりしたが、べつに今すぐに訊かなければならないことではなかったし、Zigenさんの表現の理由がなんであれ、それはオレが何かを表現することの理由とは関係ないわけであって、別にいつか将来、そういう話しを出来る機会があったときにまた訊いてみればいいのだろうと思った。
 
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 ギャラリーを後にすると、街は徐々に暗くなっていって、合羽坂の交差点で外苑東通りへの右折待ちをしていると、バックミラーにビルの向こうに沈もうとしている夕日が映っていた。昔つきあっていたことがある女の子が外苑東通りの先に住んでいて、数年も昔のことだが、よくこのあたりを通っていたことがあった。外苑東通りは市ヶ谷の防衛省のあたりを越えた先で道が狭くなっていて、いつも混んでいたのだが、この間ひさしぶりに通ったら、道路の拡張工事も、もうすぐで終わろうとしているようだった。道路を隔てた信号機の向こうに、ホテルブーゲンビリアと書かれた看板が見える。そこにそんなホテルがあることに初めて気がついたし、行ったことも聞いたこともないホテルだったが、名前が面白くて、なんとなく携帯で写真を取った。ブーゲンビリアといえば、村上龍コインロッカー・ベイビーズのワンシーンにも登場する花だった。確か、ハシが押し込まれたコインロッカーの箱には、ブーゲンビリアが敷き詰められていた、というようなシーンだったと思うが、妙に印象的だったのを覚えている。日常の中でブーゲンビリアという花を見ることはあまりないが、そういえば、ハワイに住んでいる叔母の家の隣の家の庭にも、立派なブーゲンビリアが咲いていた。外苑東通りをこうして通ることはこれからもあるだろうが、ホテルブーゲンビリアに行ったり泊まったりすることは、きっとないのだろうなぁと思った。
 
 帰りしなに小腹が空いて、246沿いの蕎麦屋に入った。以前から知っていた店だったが、わざわざ行くほどではない気がして、もう何年も前から知っていたが、来たのは初めてだった。小諸そばという立ち食いチェーン店を経営する会社が、小諸そばの上位店舗というポジションで出店している店だった。出汁とか、蕎麦とかに、少しだけ小諸そばよりも良いものを使い、おしゃれでモダンな雰囲気を演出しながらも割安な価格を実現しているということで人気の店らしかった。並んでいることも多いとネットには書かれていたが、夕飯には少し早い微妙な時間だったこともあり、並ばずに店内に入ることができた。
 
 店内は外国人が多く、空いていた席に座ると、左にはアジア系のおばさんがひとり、右にはアジア系の男、おばさん、おばさん、欧米系のカップル、という感じの並びで、カウンターはほとんど満席だった。左隣のおばさんは、服装とか雰囲気がなんだか薄汚くて醜い感じがして、べつに何をされたわけではないし、そのおばさんは何も悪くはないのだが、なるべく距離を取りたくて、オレはなんとなく背を向けていた。
「お荷物入れにお使いください」
 店員のおばさんが荷物を入れるカゴを持ってきた。膝に置いていたバックパックをオレは自分の椅子の右隣に置かれたそのカゴの中に入れた。
 
「わたしは嫌なのよね、それに荷物いれるの、ほら、隣の人の靴の踵とかでさ、コートに当たっちゃったりすると汚れちゃうから」
 驚くべきことにオレの左隣の醜いおばさんは外国人ではなくて日本人だったし、用意されたカゴに荷物を入れることを嫌がり、わざわざそれを店員に伝えるという始末で、ただそれだけのことなのに、なんとなくオレは嫌な気持ちになった。程なくしておばさんの鍋焼きうどんが出てきた。鍋焼きうどんを箸で突きながら、おばさんは店員を呼びつける。
「ねぇ、かまぼこが入っていないんだけれど」
 背の高い若い男の店員が現れて、おばさんの鍋焼きうどんを一瞥して、頭を下げてた。しばらくして、小皿にかまぼこが2切れ載せられて出てきた。
「ちょっとサービスしときましたんで、いつもご来店ありがとうございます」
 いかにも申し訳無さそうな声で店員がそう言う。
「あらいやだぁ、いいのにそんなことしなくて、なんだか悪いわねぇもう」
 願い叶ったりとでもいうように、嬉しそうな声でおばさんがそう言って、オレは横でそれを聞いていてまたなんだか気持ちが悪かった。
 
「ちょっとごめんなさいねぇ」
 オレの左斜め前にあった調味料置き場に、オレの方を見ずにおばさんがそう言いながら手を伸ばす。いちいちうるせんだよババアが。声に出さずに心のなかでひそかにオレは毒づいた。
 
 給仕をしている店員のおばさんも、上品さとかおしとやかさとは全く無縁の、がさつでせわしない接客だった。席は狭いし、椅子は後ろに下がらないので机に押し付けられているかのような姿勢を強いられていた。
 
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 注文してあったかしわ天せいろ、600円が出てきた。天ぷらは春菊天あたりが食べたかったのだが、単品では頼めないらしく、そのへんの点でも小諸そばと比べてしまって、オレは少しだけガッカリしてしまった。コンセプトが違うのはわかるし、来店する外国人客とのやりとりなどを考えると、たしかにすべてセットメニューにしてしまうのは悪い方法ではないだろうとは思うが、自由に種物を選べるのもこういうファーストフード系の蕎麦屋の醍醐味だと思う。
 
 つゆは確かに、明らかに小諸そばよりも少しだけレベルが上のものだった。醤油の角が立ちすぎているのが少し気になるのと、甘さが若干だが強すぎる。出汁ではなく、砂糖の甘さだ。でも、そのへんのわけのわからん蕎麦屋のつゆよりは、随分と優秀なつゆだと思った。
 麺は、蕎麦粉の比率が小諸そばよりも多いらしいが、多少はマシかな、という程度で、大きな差は感じられなかった。そんなことより、麺は水切れが悪かったし、少し茹ですぎだった。ぶよぶよとしていて、水っぽい。蕎麦の風味や甘み以前に、これでは、いい蕎麦とは言い難い。
 たしかに、小諸そばの麺とはちがって、ホシの部分も打ち込まれているのが目に見てわかるが、だからと言って大きく風味で秀でているわけでもないわけであり、この麺やつゆと引き換えに、失った小諸そばならではの良さを思うと、残念な気持ちになった。
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 天ぷらも、そう褒められたものではなかった。蕎麦屋を見定めるのには、せいろと天ぷらを頼むことにしているので、かしわ天せいろを注文した。鶏肉は調味液に漬け込んで下処理がしてあって、しっとりと仕上がっていたが、衣はべたべたと脂っぽく、香りもいまいちだった。小諸そばの揚げ置きの天ぷらの方がマシだとも言えるかもしれない。
 本質的に、蕎麦屋の天ぷらというのは、天ぷら屋の天ぷらとは全く別物だと言っても過言ではないものであって、この店みたいに、天ぷら屋の天ぷらを半端に目指そうとすると、得てして残念な結果になるような気がする。
 
 600円という価格でこれが食べられるのは悪くはないが、雰囲気にお金を払っているようで、妙な気分だった。
 
 べつにこういう蕎麦屋が存在していることに大しての不満はないが、たとえば外国の人が来て、日本の蕎麦屋とはこういうものだ、と思われてしまったりするのはなにか残念な気がする。そりゃあたしかに、小諸そばよりも、いろいろと「良い」のはわかる。でも、その良さは、どこか中途半端で、それだったら無くてもいいのかもしれない、と思ってしまうような類の良さでもあった。
 
 もっとも、右隣に座っていた外国人の男が、そばつゆにドボンと練りワサビを放り込んで、濁ったつゆにどっぷりと蕎麦をつけて食べているのを見ていたら、客も客なわけであって、べつにこういう店はこういう店でいいのかもしれない、と思ったりもした。もちろん、本わさびなどではなく、練り物のインチキわさびなので、つゆにドボンとつっこもうと別にそれはそれでいいし、そうやって世の中は上手く回っているのかもしれない。
 
 最後に出された蕎麦湯は、茹で湯をくんだだけのシンプルなもののようで、わりと好感が持てた。そば徳利につゆをわけて出していることは評価に値するような気もする。蕎麦湯につゆを少し溶いて飲むと、出汁の味わいがひろがって、美味しかった。蕎麦つゆだけで味わうと、少し足りなさを感じるが、蕎麦湯で割ったときの味わいはなかなかのものだと思った。
 
 そう、蕎麦湯が美味しいと、結局すべてを許してしまうような気がする。
 横にいるおばさんはあいかわらずなんだか気持ち悪くて顔も見たくなかったし、給仕のおばさんはがさがさと店内を走り回っているし、椅子は狭いし、居心地のいい店とは言い難かったが、べつにそれはそれで良いような気がした。オレが来なければいいだけのことだろう。
 
 店を出ると、なぜかシャンプーのにおいがあたりには漂っていた。近くに美容室でもあるのだろうか。店の前には小さな行列ができていて、街はすっかり暗くなっていた。
 
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 通りの少し先に、路上で野菜や果物を売っているおじさんがいた。確かに安かったし、店舗ではなく路上で売るからできる価格なのだろう。通りすがる人たちが群がっている。ベージュのトレンチコートを着た女が、1個80円のアボカドを買っていた。並べられた果物や野菜の内側には青いザルが置かれていて、その中にはジャラジャラと小銭が入っていた。おじさんの帽子には、市場のIDを示す数字が印字されたプレートがついている。
 
 表現する理由のことをまた考えながらオレはバイクのキーをひねってエンジンに火を入れた。理由はいたるところにあるし、でも、どこにもないのかもしれない、そんな気がした。展示を見て思ったこと、蕎麦屋で思ったこと、渋滞する夕方の道路を車の間をすり抜けるようにして走りながら思ったこと、そういうことを、文章に書きたいと、オレはなんとなく、思った。すこし走るうちに空はすっかり真っ暗になった。東京に、夜が来る。
 
 
 

1月24日の献立の記録

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■豚と生姜のごちそうスープ

雪溶けの氷で道路も凍てつく、大雪が降ったあとの寒〜い一日。何かあたたまるものが作りたくて、メインディッシュとして、スープを作ることにした。

スープというのは、つい端役として扱われがちだが、そこであえてスープを主役にしたいと思ったのは、端的に言うと、ごちそう豚汁とご飯というメニューを出しているお店に正月に行ったことに影響を受けている。

玉ねぎ、人参、大根、生姜、長ねぎ、をオリーブオイルで軽く炒めてから、ひたひたになるくらいの水を張り、そこに塩と酒を加えて、圧力鍋で弱火でじっくり煮込む。

すぐに沸騰させずにゆっくりと野菜を煮込むと、旨みと甘みがしっかり出る上に、野菜の風味が引き立つ。

肩ロースは砂糖を揉み込んでしばらく置く。豚肉は砂糖を揉み込むと、柔らかく、風味がよく仕上がる。これは、とある中華料理屋の中国人シェフのうけうり。何年か前に行った時、青椒肉絲の豚肉があまりにも柔らかくて驚いて、その秘訣を聞いたら、下ごしらえ次第だよ、と言って、砂糖で揉んで一晩おいて、塩、片栗粉、で仕上げている、と話してくれた。ということで、きょうは一晩はおけないが、数時間おいてから、酒と醤油と片栗粉を加えてよく揉み、お湯を沸かして火を止めた鍋に入れた。肉が塊にならないように箸で広げて、予熱で火を通す。グツグツと煮込んだりはしない。そしてしばらくおいて落ち着かせてから、上澄みの油とアクをすくい取って捨て、煮汁ごと、圧力鍋の野菜たちと合流させる。油抜きして細切りにした油揚げも入れた。

あとは、豆乳、味噌、塩、砂糖、醤油、おろし生姜で味を整えて仕上げた。豆乳は、武蔵小山の商店街の豆腐屋さんで買ったのだが、安い割にけっこう美味しいと思った。料理に調整豆乳を使うと美味しくないので、今回は無調整豆乳を使用。

豚の出汁と豆乳のコクを活かした、しっかりめの味付けは、ごはんのおかずにもなるごちそうスープ! 生姜の効果で身体もポカポカあたたまる。

あとは食べる直前に胡椒をかけて完成。ご存知でしたか、胡椒は挽いてから八分しか本来の風味がもたないらしいですよ。

ちなみに食卓には色々と調味料を出したが、味の好みは千差万別だし、絶対的な味のレベルとは別に、好みというものをもっと尊重するべきだと思っている。ので、ベースとなる味には責任を持つが、塩分濃度の調整とかは、最後は自分の加減でやって欲しいと思っている。一般的に良いとされている0.8%の塩分濃度よりも、すこし弱めの塩味になるようにしているので、薄いと思ったら遠慮なく塩を使ってもらいたい。塩もそれなりに美味しいものを揃えているし!

 

■ニラと車麩の卵とじ

水でもどした車麩をしっかり絞って、溶き卵を吸わせる。

そこに刻んだニラと、白だし、無添加の鶏ガラスープを加えて、まぜる。出汁で卵が薄まってしまうので、質感を維持するためという意図で水溶き片栗粉も加えた。ニラは小さめに切る、先に別炒めしない、のがコツ。

フライパンにこめ油を塗って、ニラ入りの卵液を流し込み、IHクッキングヒーターで低温でゆっくり加熱。ガス火で焼くとすぐに焦げてしまうので、IHでじっくり加熱するとよい。そうすると、厚みを保ったまま、きれいに仕上がる。ガス火だと、このぶあつさだと芯まで火を通そうとするとあっけないくらいに焦げてしまうが、IHの極弱火だとそれがきれいに焼けるのだ。キッシュみたいなかわいい焼き上がりになった。

食べる前に醤油をかけることで味がよくまとまる。卓上醤油はヒゲタ醤油の本膳がおすすめ。そんなに高くない割に美味しいので愛用している。うまみがある醤油だと思う。ちなみにわたしは料理用の醤油もここ数年はヒゲタ一筋。笑 この1升ボトル、ハナマサで300円しないくらいの値段で買えるのだが、侮れない。同価格帯の他社製品よりも、香ばしい気がする。ちなみに、ヒゲタはだいたい全部の醤油を丸大豆ではなくて、脱脂加工大豆で作っているが、同価格帯の他社の醤油よりも明らかに美味しいと思う。いつか銚子のヒゲタの工場に見学に行ってみたいと思っている。

 

■青菜の野菜あんかけ

蒸した小松菜に、人参とたけのこのあんかけを絡めた。

あんかけは、どうやって作ったかあんまりよく覚えていないが、酒、醤油、白だし、鶏ガラ、米酢、あたりで作ったような気がする、たぶん。

お酢は火にかけると酸味が飛ぶが、穀物酢ではなくて米酢で作るのと味が尖らないのでおすすめです。

小松菜は蒸すことで風味と食感がしっかり残る。この冬はそういえば蒸し野菜にハマっている気がする。

蒸すのはかんたんで、大きな鍋にどんぶりをおいて、丼のまわりに水を入れる。丼の中に野菜をいれて、蓋をして弱めの火にかけてしばらく放置するだけで美味しく蒸せる。このやり方で蒸した白菜に醤油をかけて食べるだけで美味しい美味しい。

 

■もやしのナムル

スタンダードなナムル。もやしが、黄金もやしなる、なかなか美味しそうなブランド系のもやしだったので、その味わいを活かしたくて、シンプルなナムルにした。味付けは、醤油、無添加鶏ガラ、ごま油、すりごま。無添加鶏ガラスープは塩分が強めなことが多いので、仕上がりの塩分濃度に要注意。

あつあつのもやしにまず醤油をからめる。醤油にすこし熱を加えると、醤油の味の角がとれて美味しく仕上がるような気がする。調味料を混ぜたら、冷蔵庫で一時間以上は寝かせて味をなじませたいところ。

 

■だいこんサラダ

シャキシャキとした野菜の食感を活かしたサラダ。

ドレッシングは自家製で、醤油と米酢がベースのシンプルな味付け。南伊豆のおいしい天ぷらやさんの前菜のサラダのドレッシングに実はインスパイアされている。

醤油、米酢に加えて、あとは砂糖とみりんが入っている。ポン酢に近い仕上がり。レモン果汁がアクセントとして入っている。旨味のもとになる成分(かつおだしなど)をあえて一切いれていないのがポイント。野菜のうまみがよく分かる。

 

■白米

炊飯器で普通に炊いてます。すこし固めになるように意識して炊いた。

 

 

DIVE, that's the way how my year 2018 will going to be

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2018年の抱負なんですけど、ズバリ!

 
「DIVE」
 
抱負と言えるのかどうかはわからないが、個人的な2018年を生きる上でのキーワードは、「DIVE」だと、きょうの夜、新宿の道を運転していたら、なぜか唐突に思いついた。
 
潜る、潜航する、DIVE、
 
どちらかというと2017年は、今まで以上にいろいろなことに手を出して過ごした、いわば、水面上で、全力でもがいていたような1年だった。
飲食店の経営の主体となる立場から身を引き、その後に紆余曲折を経ながらも、飲食に関連する事業になんだかんだで関与し続けてきた。
なかには、ほとんど利益にならない仕事もあったし、しなくてもいいだろうという仕事も生活のためにしたりした、そんなような1年だった。それでも、なんとか生き延びることができて、こうして無事に新しい年を迎えられたわけだが、べつに年の区切りだからというわけではないにしても、2018年は、仕事もそれ以外も、いろいろと生きるスタンスが変わるような気が、いま、なんとなく、している。
 
2017年も、その前の2016年に引き続き、とにかく飲食物との関わりが多い日々だったが、その1年の終わりに、ここ近年の自分の中での議題だった、「食べ物との向き合い方」における、自分にとっての、「あるべきスタンス」のようなものが見えてきた気がした。
 
美味しいもの、というのはオレにとってはとても重要なものであり、また、美味しくないもの、というのは憎むべき対象ですらある。美味しくないと思うものはなるべく食べたくないし、美味しいものを食べるための努力は可能な限りは惜しまない、ということには、いまでも変わりはないのだが、以前にもこのブログに書いた「食はオレのファースト・プライオリティではないらしい」という問題についての、答えがやっと見えてきた気がした。
 
飲食店を経営したり、美味しいものを求めていろいろなお店に行ってみたり、いろいろな人の料理を食べたりした中で、食べ物の世界のことが、少しだけわかった。美味しいものを食べると幸せな気持ちになったり、嬉しくなったりするが、それと全く同時に、たかが食べ物じゃん、という気持ちがどこか自分のなかにあるということに気がついたりする。必要なものだが、目的ではない、ということなのだが、つまり、美味しいもの、というのは、ひとつの「必要因子」に過ぎなかったということに思い至ったのである。ある意味では、「健康」と近いニュアンスなのかも知れない。健康であることは必要かつ大切なことであるが、健康であることそのものを目的として生きているわけではない。言い換えれば、生きていくためには健康であることが必要である、ということになるわけだが、美味しい食べ物も、ある意味では、それと全く同じことだった。標準的な人よりも、食べ物に対する要求や要望が少しだけ多いかもしれないが、オレはべつにグルメでも美食家でもない。美味しいものを食べるためとはいえ、行列に並ぶことは厭うし、すべてを投げ打って美味しいものをたべたりも、多分しない。
 
贅沢な言い方かもしれないが、美味しい食べ物は、オレにとって、当たり前に必要なもの、ということだったのだろう。
 
話が反れたので話題を戻すが、そんなわけで2017年は、なんだかんだで、食と関わり続けた1年で、もちろん2018年も変わらずに継続する部分も多いとは思うが、マクロ的な見方をすると、飲食に関連することは、今後の生き方の主軸ではないと思っている。
 
それではなにが主軸になるのか、ということは、ここで簡単に書けるようなことではないし、自分でも、まだはっきりと明確にはわからない。でも、少しは見えて来ているような気がするし、いろいろなことに手を伸ばしてきた2017年と違い、今年は、すこし潜るように生きる、とでもいうか、跳ぶ前に、そのために、潜る、そんな1年になるような気がしている。一概にすべてがそうなわけではないが、物事との関わり方、他人との関わり方、いろいろと、ちょっと潜る1年なような気がしている。
 
そんなわけで、DIVE、なのだが、この1年は、その先の未来を見据えて動く、そんな1年にしたいと思った。
 
あまり抱負とかを考えたことのない生き方をしてきたというか、自分の人生を自分で定義するようなことに馴染みがなく、オレはこういうふうに生きるんだ、というようなことを殆ど考えたことがなかったのだが、今年はどういうわけか、そういうのとは関係なく、ほんとうに、どういうわけか、ふと、DIVEというキーワードが浮かんできた。
 
20代の最後でもあるし、実りのある1年にしたいと思う。
 

日々の糧について

まだ今年を振り返るのには少し早いが、この一年は、いろいろと変化の大きな年だった。

毎日が暇で家でゴロゴロして過ごしていたかつての日々が信じられないくらいには、毎日が忙しく、目まぐるしく過ぎていく。

少し前だったら、ふらっと休みを勝手に作って旅に出たりも出来たが、最近はその暇もなかなか無い。

でも、相変わらず、自分のやりたいことがなんなのか、自分の理想とするライフスタイルがどこにあるのか、なんとなく、判然としないまま、やっぱり日々が過ぎていく。

幸か不幸か、いろいろと仕事を頂く日々で、ギリギリだけど、なんとか生計は立てられているが、どれもこれも、もしもお金が伴わなかったらやっていないだろうな、と思うことばかり。まぁ仕事なんてそんなもんだし、仕事が仕事である以上、突き詰めて考えればそれは金を貰うためにやっていることだからだが、もちろん、働くからには楽しくやりたいし、実際、働くという言葉で子供の頃に自分がイメージしていたような、オフィスに朝から晩まで詰めて座っているというような姿からは随分とかけ離れた楽しい働き方が出来ているので、日々の仕事に、いまはそう不満はない。

理不尽なことを言ってくるような相手とはあまり一緒に仕事をしないで済んでいるし、極端に嫌な思いをすることも殆どない。寝る時間がとれないとか、休む暇がないとか、体力的にけっこうキツイことはそれなりにあるが、もっと若い頃に経験していたような、苦痛を伴う仕事をする羽目になることは、いまはもう殆ど無い。

それが、ぬるま湯、だからなのだろうか。とも思ったが、つらければそれでいいわけではないし、べつにそういうことでもないと思う。極端につらいこともないが、心からの充足感のようなものも、別に、無い。でも、ある種のヒリヒリとした感じ、能力の限界をギリギリ越えたところでの戦い、そういう感じに欠けているような気がする。

 

全く不安がないわけではないが、金銭的な面でも、なんとかなると思えるところではやりくりが出来ている。

自分に足りないものがなんなのか、自分がいま何を手にするべきなのか、わからない。

 

と、ブツブツぼやきながらも結局、毎日に流されて気がつけば時間は消費されていく。

 

ここ2年くらい、お酒の量が少しひどいような気がしてきた。絶対的な飲酒量で言えばもっとヤバイ人は世の中にはたくさんいると思うが、相対的な話しであれば、かつての自分の飲酒量を随分と上回るアルコールを摂取して暮らしている。

2013年くらいから禁煙に挑戦していたが、なかなか思うように煙草を手放すことが出来ず、一度はやめたりしたものの、また戻ってしまって、結局、完全に禁煙したのは2015年の春先くらいだった。努力や我慢ではなくて、考え方の転換で禁煙したので、ビックリするくらいにあっさりと禁煙できた。それまでの禁煙は、とにかく我慢、ここまで耐えたんだがらもうちょっと、というような苦痛を伴うスタイルでの挑戦だったので、いつも、持ち前の楽観的な性格を発揮して、ま、いま我慢しなくてもいっか、と言ってあっさりと禁煙は中断されていた。

それが、考え方を変えてみただけで、ほんとうに驚くくらいに簡単に禁煙できたわけだが、たぶん、煙草をやめたことと飲酒量の増加には間違いなく関連がある。それまではニコチンやタールの処理に使われていた体力が、アルコールの処理にまわせるようになった、ということなんだろうけど、飲める量が倍以上に増えてしまった。以前は、煙草を吸いながら飲んでいた、というのもあるかもしれないが、いまは、吐きそうになることが全く無くなった。気持ち悪くなったりもしない。流石にフラフラして寝るときもあるが、面白いくらいにどんどん飲めてしまう。それで、休肝日という概念がわからないくらいにはダラダラと毎日酒を飲んで暮らしている。ビールはコスパが悪いからといってハードリカーに手をだすようになったら、単純にアルコール量が増えただけで終わってしまった。

何故、そんなにも酒を飲むのか? たぶん、憂鬱で憂鬱で仕方がないからだと思う。べつに気晴らしがしたくなるような辛いことがあるわけでもなければ、特に憂鬱になるような理由も見当たらない。でも、そんな憂鬱になる理由が見当たらないそのことさえが憂鬱で、精神の制御を自分の外側に、つい、委ねたくなってしまう。

煙草も大麻もアルコールも睡眠薬もセックスも、この手のもののみんながそうだと思うが、自分の精神の制御(もちろん身体の制御も)を自分の手から離してみたくて求めてしまうのだと思う。長年の修行を経た特殊な人間とかだったら、自身だけのスタンドアロンの状態で、精神を高揚させたり、快楽を感じたりすることだって出来るかもしれないが、普通の人間にはそれは無理だ。

自分だけのスタンドアロンでは味わえないものを求めて、人は煙草とか大麻とかアルコールとか睡眠薬とかセックスとか暴力とかスピードとか破壊行為とかを求める。

でも、言ってしまえば、これらのものから得られる快楽なんて、みんな代用品みたいなもんなんだと思う。セックスも大麻もアルコールも、目的には成り得ない。手っ取り早く快楽を手に入れられるので、そりゃそこにそれがあれば誰だって手を出してしまうし、大麻とか睡眠薬とかはさておき(法律というものがこの世界には存在している)アルコールとかセックスがない暮らしは、オレは嫌だ。アルコールに酔うのはなんだかんだで楽しいし、セックスで得られる幸福も重要だ。でも、だからといって、セックスとアルコールだけが歓び、という暮らしはもちろん望んでいないし、そんなものだけで心から喜べる程、人間は単純には出来ていない。

美味しいごはんだってそうだ。自分の外にあるもの、つまりこの場合は食べ物がそれにあたるわけだが、食べ物だって麻薬とかセックスとかと同じで、それに触れることで、それなしでは得られなかった快楽を得ることができる。

しかし、美味しいごはんは生きる目的には成り得ないし、美味しいごはんさえあれば幸せに生きられるわけでもない。

日々の糧、というタイトルで本稿を書き始めた時、糧という言葉の意味を、今一度、辞書で引いてみた。ひとつめの意味が、食べ物、という意味。そして、ふたつめの意味が、そこから転じて、日々をつくるもの、というような意味だった。

オレの日々の暮らしの糧は、どこにあるのだろうか。なにがそれにあたるのだろうか。

快適な暮らしとか、美味しい食べ物とか、溺れるように飲むアルコールとか、素晴らしいセックスとか、そういうもの以外の何かでしか、日々の暮らしの糧を得ることは出来ないような気がする。

文章を書くことは、自分の考えに触れることだと思っている。オレはどちらかというと比較的あたまの回転が速い方なので、時々、文字を打つスピードが、考えるスピードに追いつかなくなることがあるが、それでも、こうして指先でMacBookのキーボードを叩いて文章を打っていると、そのうちに、ぼんやりと考えがまとまってきたりすることがある。

この歳になると、例えば10代の頃のようにああでもないこうでもないと思い悩むことも随分と減ったが、そういえば、あの頃も、いつもパソコンに向かって何かを書いていたような気がする。

ところで、いま、久しぶりにお酒を飲んでいない。なぜならこのあと運転するからなのだが、多分、帰宅したらまた飲むような気がする。どうかお身体には気をつけて欲しい、と他人事のように自分に言いながら、いまは酒を飲んで暮らしているが、これも別に、ぱったり飲まなくなるときがいつかふらっと来たりするような気もする。べつに酒が好きで飲んでいるわけではないのだから。

 

失われゆくもの

いつかは…とは思って覚悟はしていたが、いざ現実になってしまうとやはり悲しいものである。

この場所に通い始めてもう何年になるだろうか。

人生に悩み、恋に悩み、と言うとなんだか大げさだが、そんなふうになんだかモヤモヤしたりしたときには、夜中だろうと雨上がりだろうと、ここに来て、ひたすら壁に向かってボールをうち続けていた日々があった。

都内ではほぼ唯一とも言える、深夜にも打てるコートだった。殆どの壁打ちコートが、近隣住民のクレームの問題から、18時くらいをすぎると使用禁止になってしまうが、そんななか、誰も住んでいないこの陸の孤島のような公園の壁打ちコートは、24時間開放されていた。 

腕が上がる程に、少ない明かりでも安定してボールを打てるようになった。

下手くそだったころは、暗くなると全然ボールが続かなかったが、ある程度の上達を境に、真夜中でも楽しく打ち続けられるようになった。

壁打ちがどれくらいにテニスというスポーツそのものの上達に効果があるのかはわからないが、少なくとも、思っている場所にボールを打ち返せるスキルは、継続して壁打ちをしたことで、確実に向上した。

この公園には、海が見える謎の東屋のようなものがあって、昔はそこにおじさんが住んでいた。初めて訪れたのがいつだったかをはっきりとは覚えてはいないが、インターネットで地図をみて、自転車で来たりしていた高校生1年生くらいの頃だった気がする。たぶん、2004年くらい。その東屋で、夕日の中、高校生のオレは海をみていた。隣の隣のベンチには、夕日に染まったおじさんがいた。おじさんは確か本を読んでいた気がする。キャンプ用品だとかスーパーのかごだとか、そういう生活に使っている道具のなかに埋もれてベンチに座り、本を読んでいた。ホームレスのひとも本を読むのか、とそれを見てその時のオレは思った。どんな本を読んでいたのかが気になったが、たしかわからなかったし、その時わかっていたとしても、詳しくはもう覚えていない。

その後、公園の改修工事でその東屋が閉鎖されてしまい、おじさんはいつのまにかテニスコートの脇に引っ越していた。新たな場所に立派なテントを建てて、そこで暮らしていた。テントの前にはタープのような屋根のついたスペースがあって、そこには調理台や水タンクなどもあって、おじさんは料理をしたりしていた。昼間には自転車で空き缶集めに出かけたりもしていたようだった。おじさんのテントにはラジオもあったし、蚊取り線香もあった。夏の暑い頃には、テントの外にキャンプ用のベンチを夜通し外に出して、おじさんはそこで寝ていた。

自主制作の映画を作ろうと言って、そのロケ地としてこの公園を使ったこともあった。夏の暑い日で、傾きかけた午後の日差しの中にビー玉が輝いていた。出会って間もない、まだ10代だったあの子もいた。

それから、そのもっと前には、ミクシーで出会った、アラバマというハンドルネームの女の子と真夜中にこの公園にきて、ギターを弾いて一緒に歌を歌ったこともあった。ギターにあわせてブルーハーツとかハイロウズとかをふたりで歌ったその翌朝、オレは荷物でパンパンのホンダ・フィットに乗って、栃木の足利市に、2輪の合宿免許に行った。足利では毎日温泉に入って峠道をフィットで攻めてブックオフで買った小説を読んで部屋の暖房をがんがんにかけてベロベロになるまでひとりで酒を飲んでいた。そのアラバマというハンドルネームの女の子とは、その夜以来、会ったことがない。

晴海埠頭客船ターミナルは、中学生のころに、ゆうきまさみの漫画で知った。機動警察パトレイバーの最終局面のワンシーンに登場していた。嵐の中、豪華客船に乗って逃亡しようとする内海をSSSのジェイクが撃つシーンの背景になっていた。漫画の中に登場した施設がこの施設だったということを知ったとき、記憶のなかでモノクロだった円形のベンチの色が、実物では朱色で、そのときの色のインパクトは、けっこう大きかった。

バイク雑誌の編集者をしていたころには、ロケでもよく来ていた。もう何年も前に閉店したが、まだそのころには客船ターミナルにレストランがあって、ロケの昼食をそこで食べたりしたこともあった。

前置きが長くなったが、そんなふうに昔から来ていた、かつては東京港の玄関だった晴海埠頭の公園、晴海ふ頭公園だが、2017年の10月1日をもって休園になったらしい。

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平素より晴海ふ頭公園をご利用いただき、ありがとうございます。
晴海ふ頭公園は、平成29年10月1日より休園となりました。

長らくご愛用いただき、誠にありがとうございました。

 

晴海ふ頭公園は東京2020大会で選手村エリアとして使用されたのち、水辺の魅力を活かした開放的な緑地・広場を配置するなど、皆様に一層親しまれる公園へとリニューアルし、再び開園する予定です。

再開園の時期については決まり次第、別途お知らせいたします。

公園利用者の皆様方には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解のほどお願いいたします。

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と、公式HPには書いてあったが、この休園というのは事実上の廃園に等しい気がする。

同じような設備はもう戻らないだろうし、壁打ちコーナーも、たぶん、もう出来ないような気が、なんとなくする。

意味もなく広いバーベキュー広場や、枯れた噴水や用水路、謎の橋、そういう無駄なものにに溢れた公園だった。開園したのは1975年らしい。そのころの晴海エリアがどんなふうだったのかは知らないが、たぶん、埋め立てた土地が余っていたんだろうなという気がする。客船ターミナルは91年の5月に供用を開始している。バブル期に設計・建設され、バブルが弾けた直後にオープンした、ある意味で悲劇の施設なのかもしれない。

晴海ふ頭公園の前の道路は、長らく、駐車禁止の規制がなかった。都内では珍しく、車を停め放題の道路だったのだ。車で遊びに来たときはいつも停めていた。真横には白バイの訓練施設があって、訓練する白バイたちを苦い気持ちで眺めながら車を停めていた。

 

ついこの間も、ここに壁打ちに来たような気がしていた。

昨日の夜、帰り道にすこし寄って壁打ちをしようと思ったら、完全に閉鎖されていた。

正直なところ、けっこうショックだった。もうあのコートでは壁打ちも出来ないのかと思うと、寂しいし、悲しい。

さようなら、ありがとう、晴海ふ頭公園。

 

オルガ・キュリレンコが美しい

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設備工事をしたり料理をしたり片付けをしたりしてシャワーを浴びたら眠くなってしまい、22時前に寝てしまい、目が覚めたら深夜だったので、とりあえず映画を観ることにした。

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最近はなんだか妙に忙しくて、随分とブログを書いたりもしていなかったが、映画を観たりもしていなかった。暇そうな暮らしをしている割に、案外、やることがあったり、仕事があったりで、そうやってバタバタと過ごしていると、映画を観る余裕も生活から消えてしまいがちな気がする。そんなわけで、早く寝すぎて目覚めた深夜というエアポケットのような時間は久々に映画を観るのにちょうどいい感じだった。

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例によってプライムビデオを開いて物色していたら、「スパイ・レジェンド」という(まぁひどい邦題)作品を見つけて、いい感じだったのでそのまま観た。

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主役にピアーズ・ブロスナンが起用されていて、幼少期に彼の007シリーズのファンだったわたしとしては、とりあえず観ておきたいところだな、と思ったのと、オルガ・キュレリンコでてるじゃん! というのが視聴の動機。

 

まぁ映画の内容は、いろいろと都合のいいシナリオだなぁ感は否めないものの、サクサクと小気味よく進むし、ちょこちょこ演出もかっこいいので、いい感じ。一番の感想は、オルガ・キュリレンコやばくない?? 美しすぎない?? すごいわぁ…

 

どう形容したらいいのかわからないけど、たぶん、好みのタイプなんだろうなぁw

あと、他にも何作かオルガ・キュレリンコが出てる映画は観ているが、この映画はドンピシャでその魅力がフルに発揮されていた気がした。

 

引退したスパイ、という設定がピアーズ・プロスナンにぴったりだし、昔の恋人の名前がナタリアだし(ゴールデンアイに出てきたのもナタリア)なんか出だしの曲もちょっと007のテーマに似てるし、作品そのものに対する突っ込みはちょいちょいあれど、まぁ嫌な作品ではない。

たぶん、オルガキュレリンコみたさにまた観ると思う。

 

ちなみに、原題は「The November Man」

彼が通った跡には草一つ残らない、というところから、11月、ということらしいが、まぁ確かにそのままじゃ日本では理解されないよなぁ…。