オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

蕎麦屋のこと

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 近所に、気がついたら蕎麦屋が出来ていた。この街には、蕎麦屋がもともと二軒あった。週末になると行列が絶えない店と、駅からも近くてもう少し大衆的な店。両方共いったことがあるけれど、行列が絶えない有名店も、ちょっとべつにそんなにすごく美味しかったという記憶はないくらいには前に行ったきりだし、そもそも行列ができているだけで行く気が弱まる。もうひとつのほうは、店の佇まいからしてすこし風情にかけるし、ほんとうに可もなく不可もなくという感じでこちらもわざわざは行かない。つまり、蕎麦を食べようと思ったら、わざわざどこかに出かけなくてはならなかったのである。まぁとはいえ、両方共ずいぶんと行っていないので、そろそろ機会をみつけて行ってみようかなとは思う。発見があるかもしれないし。

 美味しいと思う蕎麦屋はいくつかは知っているが、行きつけという程、よく行く蕎麦屋というのは、27年生きてきたうちで、考えてみるとまだない。

 立ち食いそばにしたって、それなりの作法と流儀があると思っていて、個人的には、渋谷の嵯峨谷によく行くほか、たまに思い出したようにゆで太郎に行ったりするが、駅前にあるよくわからない蕎麦屋にはもう入れなくなってしまった。

 これを書いていていま気がついたのだが、考えてみると、蕎麦に困っていたような気がしてきた。ちゃんとした蕎麦を食べようと思ったらわざわざどこかに出向かないといけないし、ちゃんとした蕎麦屋だからといって、蕎麦以外の部分もちゃんとしているとも限らない。

 つゆとか、わさびとか。蕎麦屋の決め手というのは、じつはそういう蕎麦そのもの以外の部分にもあるのかもしれない。なんて思わない? 笑

 蕎麦が美味しいのは、ある意味では当たり前というか、いや、当たり前ではないにせよ、期待して入るからには、ちゃんと美味しい蕎麦であって欲しいし、蕎麦がまずいのはマイナスになるくせに、蕎麦がうまくてもさしてプラスにはならないというか、そう考えると、蕎麦屋というのは損な商売な気がしてきた。蕎麦は美味くて当たり前、うーん、損だ。

 ちゃんとした蕎麦屋に行ったつもりが、くさいわさびが出てきたりする。くさいわさびがなんでくさいのかはよくわからないが、スーパーのパック寿司についているわさび、ぜんぜんおいしくないあれ、あのくささ。立ち食い蕎麦とかでそういうわさびが出てきても文句はいわないし、むしろわさびを使わない食べ方を考えたりする。(かけそばを頼むとか、ごまだれで食べるとか、つけつゆに一味をいれてみるとか)

 ちゃんとした蕎麦屋で、そういう残念なわさびがでてくると、ほんとうにそれだけで興ざめする。ネギもだけれど。

 そんなわけで、近所にあたらしくできた蕎麦屋に、行ってみようと思いつつ随分と経ってしまっていたのだが、きょう、ついに行くことができた。

 カウンターに腰掛けて、まずはせいろを食べなくちゃ、ということで、せいろをお願いする。すると、おろし板(鮫皮かな?)でわさびをシャカシャカと大将がおろしている姿を見て、テンションがあがる。この時点ですでに、美味いに違いない、という気がしてきた。そういえば、蕎麦屋でカウンターって珍しいかも、とも思った。なかなか手の内を見せていないお店のほうが多いし、普通だと、カウンターというより立ち食いテーブルになってしまうし。

 どんな蕎麦が出てくるのか、おろしたてのわさびを前にわくわくしているときの写真が上のやつ。笑

 そして、大将と話しているうちに、来た!!

 

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 シンプルで、なにも飾らない、ただの、せいろ。

 

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 良さ!!

 

 もっとも、こういうシンプルなものほど、本当に難しいというか、スタンダード、無難、シンプル、普通、という形容詞がつくようなスタイルのものほど、より、本質が求められるし、飾りでごまかせない分、ハードルは上がる。 

 水加減、というのが蕎麦にあるのかどうかわからないが、べちょべちょと水っぽい蕎麦が出てくる蕎麦屋も少なくない。かといって、乾いているのも当たり前だけれどダメだけど、そんな水加減が、きょうの蕎麦は、絶妙だった。蕎麦は自家打ちとのことで、もちろん蕎麦そのものも、しっかりとしたクオリティなのだろうけれど、蕎麦そのもの以外の部分、つまり、茹で加減、水加減、薬味、雰囲気、そういういろんな要素で結局、蕎麦屋の価値は決まると言っても過言ではないような気がする。

 食べながら、大将と、椎名誠の話をした。椎名誠のエッセイに、『殺したい蕎麦屋』というのがあって、そこに出てくる殺したい蕎麦屋は、気取ってるだけで箸で5回もすくえば蕎麦がなくなってしまうけちくさい蕎麦をだしてきた、というようなことが書いてあったのだが、きょうのお蕎麦屋さんは、ちょっと多めに盛ってくれた、と言っていたにしても、しっかりと食べごたえのある量だった。さらに、サービスでくれたお稲荷さんが、びっくりするくらい美味しかった。べつに普通のお稲荷さんかもしれないし、ただ、美味しく感じた、だけだったにしても、それでも、美味しかったんだからいい。ごまがご飯にまぶしてあって美味しかった。ふだん、わざわざ自らお稲荷さんを食べることはないし、あんまりお稲荷さんには興味がないのに、きょうのお稲荷さんは美味しかった。

 そして蕎麦湯。蕎麦湯を飲むために蕎麦をたべているのではないか、と思うことがあるくらいには蕎麦湯が好きなのだが、器からして良い〜! かわいい。蕎麦湯自体は、あまり押しの強くない、ドロっとさの少ないタイプだった気がした。つゆとわさびとよくあってぐいぐい飲んでしまった。

 

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 最近は、外で食べ歩いたりするときの目線が、仕事のせいで、ちょっと変わってきていて、どんなジャンルでも、飲食店にはいると、以前よりも注意深く、つい色々と観察してしまう。会計はどうしてるか、とか、いろいろ見てしまう。

 

そういえば、ほめてばかりだと胡散臭くなるので、あえて苦言めいたことを書くしたら…

・価格が税抜き表記なら税抜きだとわかるようにしてくれると嬉しいかも

→その後、税込み表示に変わりました(2016年4月加筆)

・忘れただけだと思うけど、お冷/お茶をだしてもらえなかった笑

というのがあったのですが、まぁ読んでわかるとおり、まったく不満には思っていないし、近所にこんな蕎麦屋ができたのが本当に嬉しい、というのが本日の感想。笑

今年の7月にオープンしたそうですが、末永く頑張って頂きたい!!! つぎは鴨を食べたいな。

 

 

 と、いろいろ書きながら思ったけど、飲食店を経営するというのは、思っている以上に怖いことなのかもしれない。

 あらゆる人々に、なかば一方的に評価を下されるのってさ、考えてみると、けっこう怖くない?

 

 

 あと思ったのが、税込み表記vs税抜き表記、ほんとうに難しいね…。

 さらなる増税を控えているし、税抜きで書いておけば、増税しても関係なく過ごせるし、なにより、割安に感じてもらえるから、お店にしてみれば、税抜きで書いてあったほうが良いんだろうけど、消費者の側からすると、税抜きで書いてあると、いざ払うときに、なんだか化かされたような気持ちになるというか、逆に高く感じてしまう気がする。(俺だけか?)

 なので、税込みで書いてあるお店に行くと、偉いぞ! と、心のなかで思うんだけれど、世の中のすべての人がそう思うわけではないだろうし、結果として、どっちが、お互い(提供者&消費者)幸せになれるのだろうか、って悩んじゃう。

 まぁシンプルに税込みで書いとくのが一番いいような気がするけど、増税したらどうすんの、とか、それはそれで悩ましい。

 あんまり小銭がちゃがちゃにはしたくないから、端数をなくすためにはどうしたらいいんだろうとか、そういうのもあるし。

 まぁ、悩みます。

 

========追記=========

 

こんだけ書いといて、お店の名前書いてなかったことにいま気付いた…。

そば・だるぶる - 白金台/そば [食べログ]

蕎麦 だるぶる(オフィシャルサイト)