オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

損の効用について(そんなものはない、たぶん)

簡単に言うと、信じられないくらいマヌケな方法で、1万円を紛失した。どうして消えたのかは結局わからなかったし、もしかするといつかでてくるのかもしれないが、とりあえず、1万円を紛失した。

1時間以上、懸命に探したが、結局、見つからなかった。

不特定多数の人が出入りする場所なので、無くなったのがオレのせいなのかひとのせいなのかはわからないが、たぶん、もう見つからない。

1万円というのは、バカにできない金額で、なにかに使って損した1万円ならまだわかるが、純損失としての1万円というのは、思い出す限りでも、そうあまりない。まさに、犬死。むなしすぎる。考えているだけで体調が悪くなってきた。もう寝たい。

 

ところで、1万円を失うこと、つまり、損をすること、という行為になにか効用がないものか、賢明に考えてみたのだが、思いつかなかった。

意味もなく1万円を失ったという事実は、どうあがいても変わることはない。

しかし、考えるきっかけにはなった。

考えながらネットを見ていたら、当たり屋まがいのことをして交通事故で補償を得まくっているキチガイオヤジの記事を読んだ。

今回の事案は、信号が変わったのに発進しなかったら後ろのトラックにクラクションを鳴らされ、それで頭に来たのか、発信してすぐに急ブレーキを踏んでコツンと追突させて、それについて5000万円を超える補償を請求している、という記事だった。アホか。その訴訟はあっさり棄却されている上に、似たような事案を何個も繰り返していたので、まぁどうみても当たり屋ですね、という感じだったので、アレなんだけど。

まぁ金額が5000万、とデカイというのもあったが、それを読んでいたら、1万円でどうこう騒ぐのがアホらしくなってきて、どういうわけか、不思議なことに、気持ちが収まってきた。笑

そして、日々の小さな1万円で大騒ぎする、いや、それはお金がたくさんあっても1万円を失ったら大変だとは思うが、とにかく、そういう生活を脱したいと思った。

いまのお前のこの暮らしの先に何があるのか。そういうことを身近な人たちに問われて、何も答えられないし、なんと答えたらいいのかわからない。そういう暮らしにも、すこし、飽きてきた。

スーツを来て朝早くから会社に行くような生活はオレには出来ない無理、そう言い続けて28歳になったが、この先になにがあるのか、オレも自分でわからないし、やっぱりこのままこの暮らしを続けていくべきではないのだろうなぁ、と思えてきた。

1万円をなくして、すごい凹んでたけど、こうやっていろいろ考えて、思考を巡らせることができたので、決して、損ではなかったのかもしれない、と、無理やり納得させようとしていないか? とも思ったのだが、別にそうでもないのかもしれない。

意味もなく失ってきた1万円よりも、意味もなく得てきた1万円(あぶく銭)の方がたぶん多いと思うし、こういう損失も、ときには必要なのかもしれないな、と言う気さえもしてきた。

就職、ホントに探そうかな…。