オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

29歳になった

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 という日記を昨日の深夜に書いたが、泥酔していたので念のため即公開にはしないで下書きに保存して寝た。何を書いたかほとんど覚えていないのでいまから読みます。

 

去年も、この日に、28歳になった。まぁ、当たり前だ。

年に一回めぐりくる誕生日、べつに普通の日だし、普段と何も変わらない。大げさに祝われるのはどうかんがえても苦手だし、わいわい集まって祝ってもらったりするのもありがたいけど苦手なので、ひっそりといつも通り過ごしたい。

まぁなんというか、好きな女の子におめでとうって、ひとこと言って貰えればそれでいいのよ、的な…。

さて、この1年を振り返ってみると、例によっていろいろと変化のある1年ではあったし、すこし俯瞰して見ると、変わらず藻掻いてるなぁ…と思う、そんな1年だった。

 

喫茶店の経営を始めて半年くらいが経過したのが去年の誕生日のこと。当ブログを振り返ると、カート・コバーンとかが死んだのが27だったから27のときにとりあえずなんかしなくちゃやばいと思って店を作った、というようなことが書いてあった。行動を起こしたことは間違ってはいなかったと思うし、そこで出会った人々、身についた知見、経た経験。いろいろと得たものは多かったが、結果としてはその次の歳である28歳のうちに、店は手放した。

そして、その後ものらりくらりとそれでも生き延びでいるわけだが、油断していたらそんなうちに29歳になってしまった。

今年で32歳になる友人がいて、彼が29歳とか30歳とかになったときに、やばくね本物のアラサーじゃんwww などと言って笑っていたのだが、それを思い出して悔いたりはしないにせよ、ああ俺もついに30歳秒読みになってしまったのか、というわけである。

今朝、祖母に、よくここまで無事に生きてきたわね…と言われて、すごい祝いの言葉だなと笑ったが、そうだ、生き延びただけでもすごい。後から考えていたらそんな気がしてきた。何回か死に損なったこともあるし、こうして生きているだけである意味奇跡なのかもしれない、という気さえする。

と、アルコールに浸った脳みそで駄文を連ねているが、29歳は、もう少し前に進む1年にしたいな、と、割りと心の底から思っている、というか、願っている。

きちんと収入を確保すること、最低限の安定は確保すること、将来のことをもう少しだけ考えること。いつも言ってることではあるが、そういうことができるような1年にしたい。

現に、すでに新しい事業に着手してはいて、このままきちんとやれば、確実に利益を生み出せる…と信じているし、とりあえずは日々を頑張るしか無いのだが…。

そんなわけで、今日も今日とて、その準備で忙しかったのだが、金があってもできないことは、金がなくてもできないのだし、とにかく、お金をちゃんと稼げる29歳にしたい。

自分のやりたいことと、自分に向いてることと、自分がするべきことと。そういうことのバランスを考えて29歳は生きたい。あとできればもう少しだけ、酒量を減らしたいとは思っている。このままだとオレの肝臓はたぶんやばい。

 

と、とりとめもなく記した日記だが、驚くべきことに、俺はすでに29歳なのである。

 

まいったなぁ…笑

 

 

と、いうのが昨日の深夜に書いた日記。他人が書いた文章みたいな気分で読んだ。四合瓶がほぼ空に近づいたあたりで書いた文章にしてはまともだったかもしれない。

 

 

 

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▲様変わりする晴海埠頭。オリンピックが来るのは良いが、好きだった場所が変わってしまうのは悲しい。