オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

黄色い花

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 もう18時を過ぎてしばらく経っていたが、あたりはまだ明るかった。ほんのひと頃前までは、このくらいの時間になると空はもうすっかり暗くなっていたというのに、知らぬ間に日が伸びていたことに気づいて、それで、なんだか少しだけ嬉しくなる。
 東京のど真ん中、そう称しても過言ではない場所にこの公園はある。もちろんおれが生まれる前からこの公園はここにあったし、そのすぐ横の道路を運転して車で通ったことも数え切れないくらいには幾度もある。ゆっくりと足を踏み入れたのは、おそらく随分と久しぶりのことだったが、どういうわけか、ほとんど初めてに近いような感覚だった。公園の真ん中にある時計を見ると18時半を10分ほど過ぎたところだった。なんでもない普通の水曜日だったが、平日だというのに園内にはそこそこの人数の人たちがいた。公園の管理事務所の前にはベンチとテーブルがあって、持参したワインやつまみで40代くらいの男女がアウトドアドリンキングを楽しんでいる。
 管理事務所では無料でピクニック用のラグを貸し出していて、芝生の上にはそれを広げその上で体を寄せ合っているカップルがいた。少し離れたところには眩いくらいに白いドレスに身を包んだ花嫁がいて、花婿とヘアメイクとカメラマンとその助手の総勢4人で、東京タワーを背景に写真撮影をしている。彼らの撮影している写真の背景に東京タワーが入っているのだということに気がつき、そこに東京タワーがあったことを急に思い出してふとタワーのほうを見ると、いつのまにかライトアップが始まっていて、まだ青白い夕空にオレンジと白の光が薄く広がっていた。
 公園にはどちらかというと外国人の姿が目立っていて、軽く辺りを見回しただけでも、イヤホンを耳に差し込んでスマホのゲームに興じている北欧顔の男とか、水筒を手にぶら下げて並んで歩く中国系の顔立ちの老夫婦とか、短パンとTシャツにスニーカーというラフないでたちの背の高い若い北米風の3人組とか、そんなような姿が目に入る。
 結婚式の撮影部隊が芝の広場を横切って歩く。無料レンタルのラグの上で体を寄せ合っていたカップルは並んで寝そべっていて、女の手が男の脇腹のあたりに触れていた。少しずつ空が暗くなってきているのがわかるが、暗くなっているという実感はなんだか乏しく、さっきと比べて暗くなってしまった、という結果としての事実のみから、日が暮れ行くことを知る。撮影部隊は公園を横切ると増上寺の方へ消えて行き、寝そべっていたカップルの女の方が体を起こしてそのへんに置いてあったニットを肩から羽織り、また男のすぐ隣に体を横たえた。二人はなにかを話しているが、なにを話しているのがわからない程度には彼らとの距離は離れていた。
 あたりが暗くなるにつれて、ビルの窓の灯りや、公園の街灯の光が目立つようになる。しばらく前から街灯もビルの灯りもついていたはずだが、当たり前だがあたりが暗くならないうちにその灯りが目立つことはない。増上寺との境に植えられた茂みの向こうからフラッシュの光が漏れてきて、花嫁と花婿の姿をそこで撮影しているのだということがわかる。
 吹く風が少しずつ冷えてきて、半袖の腕を撫でる風が冷たく感じられる。ぴったりとした黒いタイツを履き、白いTシャツと黒いキャップという姿の若い女がおれの前を走って通り過ぎて行く。女はイヤホンをして音楽を聴いていて、そのスニーカーの靴紐の色は明るい蛍光色のオレンジ色だった。東京タワーのライトアップは季節によって色が変わるらしい。夏は暑苦しくないように色が白っぽくなるらしいのだが、5月のいまは、まだ冬と同じ、暖かみのあるオレンジ色にライトアップされている。歩道の敷石の上におれは寝転がった。昼間照りつけた太陽の熱が石に残っていて、背中がほんのり温かい。太陽の姿を空に探すが、もうどこにも見当たらない。激しく赤い夕焼けを披露することなく、きょうの太陽は地平の向こうへと消え去ってしまった。
 木々を揺らす風が音を立て始める。公園の利用の注意事項を案内する機械音声が園内のいたるところにあるスピーカーから響いている。
 体を起こしてあたりをまた眺めていると、管理事務所の近くに、植え込みに咲いている黄色い花の姿を手元のスケッチブックに描いている女の姿が見えた。女が座っているベンチの奥の植え込みにその花は咲いていて、女は日本人だった。俺はなんとなくその姿をしばらく眺めていた。女が描いている花は、多分、バラだとおれは思ったが、おれは花に詳しいわけではないので、それが本当にバラなのかどうかはよくわからなかった。
 よく見ると、女が履いている靴は俺が履いている靴と同じメーカーのスニーカーだった。暗くて色までははっきりと見えないが、多分、型番の数字も同じものだと思った。黒か紺のスウェードレザーのスニーカーで、側面にはメーカーの名前の頭文字のロゴマークが光っていた。俺が履いているのは、それと全く同じ形のサイズ違いで、おれのは紺色だった。暗くなったからか、女は絵を描くのをやめてスケッチブックを肩から下げていた布製のバッグにしまった。鉛筆のキャップがないのか、女は鉛筆をしまうときに、鉛筆の先っぽになにかテープのようなものを巻きつけてから筆箱にしまっていた。夕焼けもないまま、あたりはすっかり暗くなっていて、時計に目をやるともう19時になっていた。また地面に横になって空を見上げると、背中に伝わる地面の熱が、さっきよりも弱くなっていて、もうあまり暖かくはなかった。

 時間も、人生も、いつも気が付かないうちに、過ぎていってしまう。永遠に続くかのように思える時間も、いつかは終わりが来る。終わらない彼と寝てる、そんなフレーズが1980年代のポップソングの歌詞にあった。果てることのない彼、理想の彼、などの意味だとその歌詞は一般的には解釈されているが、その歌が世に出た頃よりもはるか昔の頃から、終わらない何か、というものに人は思いを馳せ続けてきたのだろう。いつの世も、人は、終わらないものを探し続けてきた。この小さな夕暮れのひとときにも、ふと、時間が流れていることを忘れそうになる。少しづつ暮れて暗くなること、時計の針が進んでいくこと、そういう結果としての事実のみによって、ひとはいつも時間の流れを知る。時間の流れる速さは、物理学的には一定速で常に等速だとされている。同じ速さで流れ続けてきた時間のなかで過ごしてきたおれの日々が、いまのおれを、いまのおれたらしめている。夕闇の中で、黄色い花が小さく揺れていた。辺りを見回したが絵を描いていた女の姿はもう見当たらない。おれは体を起こして、ぼんやりと自分の履いているスニーカーを眺めた。