オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

さらば、古川橋のホープ軒

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 これが最後の1杯なんだな、そう思いながらきのうの夜のオレは券売機に1250円を入れた。ラーメン750円と書かれたボタンを押して、黒い札とお釣りの500円を受け取る。この店に通い始めたての頃は、ラーメンは750円ではなくて700円だった。初めて来たのがいつだったか、記憶に定かではないが、意識してこの店に通うようになったのは2013年の暮れくらいのことで、もう5年も近く前のことだ。明け方まで仕事をしていた夜、ふと思い立って早朝にラーメンを食べに行くことにして、他の店を検討することもなく、どういうわけか、オレは迷わずこの店を選んだ。その頃オレは25歳で、今よりももっともっとお金がなかったし、当時は日常的に外食する習慣がなかったので、ラーメンなら家で作って食べるのが当たり前というような暮らしをしていた。だから、いくら明け方とは言え、わざわざラーメンを外に食べに行くのは、なんだか特別なことだった。今でこそ、腹減ったしラーメンでも食って帰るか、なんて言って外で食べて帰ったりもするが、その頃は、友人と一緒でも外食せずに家に帰るような暮らしをしていたので、そういう意味でいうと、デスクでも吸っていたタバコをわざわざベランダに吸いに行くとか、そんなような行動と同じで、仕事に一区切りつけたいというか、ちょっとリセットしたいような気持ちで食べに行ったような気がする。そういえば、千駄ヶ谷の本店の方にはその前にも何度か行っていたのだが、その日、空が白み始めた明け方にこの古川橋の店のラーメンを食べてみて、千駄ヶ谷とはちょっと味が違って、古川橋のほうがまろやかで奥行きがある気がした。それ以来、オレはちょこちょこ、この古川橋のホープ軒に通うようになった。そんなわけで、友人とラーメンを食べに行ったりはあまりしないような当時のオレだったが、この店にだけは、折に触れて食べに行くようになった。そして、どういうわけか、決まっていつも真夜中に食べに行っていたのだが、いつも同じおじちゃんがいることに、ある時気がついた。単純に、24時間営業していてありがたいというような意味で夜に食べに行っていただけのことが当初は多かったような気もするが、次第に、そのおじちゃんが出勤している、水曜日を除く、22時以降の時間に限って食べに行くようになった。つい最近まで、おじちゃんの名前さえ知らなかったのだが、おじちゃんはワンオペで一晩を乗り切る凄腕の夜専門の店番で、おじちゃんのシフトは水曜日が休日で、それ以外は毎日22時から朝10時までだったのである。おじちゃんは殆ど毎日出勤しているし、ただオーダーに合わせてラーメンを作るだけではなくて、味を左右する仕込み仕事の多くを担っていて、現に常連客には大将とかマスターとか呼ばれていたし、いわゆる店長のようなポジションだったのかもしれないが、そのあたりのことはいまだよくわからない。おじちゃんが店にいる以外のタイミングで食べに行ってしまったこともあるが、いつもと味がぜんぜん違って、それで、そのおじちゃんがいるときにしか食べに行かないようになった。晴海の壁打ちテニスに行くときに立ち寄ったりすることも多かった。悶々と悩み事があるようなときに壁打ちテニスに行くことが多かったので、必然的に、この店に来るのも、なんとなく悩んでいるようなときが多かったかもしれない。なにかを失ったり、なにかを忘れたかったり、なにかを見つけたりしたようなときに、なんとなく、オレは知らず知らずのうちにこの店に足を運んでいた。そんなこの店も、この5年の間に、いろいろなものが変わった。お店に置いてあるテレビは、昔は骨董品みたいなブラウン管テレビに地デジチューナーを接続したものだったのが、いつの間にか無名の海外メーカー製の液晶テレビに変わり、気がついたら世界の亀山モデルに更に変わっていた。店の外の提灯も、昔は調子が悪いことが多く、カチカチと音を立てて電球が破れかけたボロボロ提灯のなかで点滅したりしていたが、いまはピシッと新しいきれいなものに変わっている。カウンターの内側にあるコインカウンターとか、ネギ削りマシンとかは今でも変わらないが、発注を流す電話をするのにおじちゃんがいちいち十円玉を入れて電話をかけていたピンク色の十円電話は、いつの間にかFAX付きの新しいものに変わっていた。通い始めてずいぶん最初の頃のことだったが、スープの入れ替え時間のことをおじちゃんが教えてくれた。だいたい夜の12時くらいにスープが新しいものに入れ替わるらしい。好みには個人差があるが、できたてのスープは、煮込まれた濃いスープよりもまろやかでやわらかくて、優しい味がするんだ、と、おじちゃんはにっこり笑って教えてくれた。入れ放題の薬味のネギも、たっぷり入れてね、と言っていつもラーメンと一緒に必ず出してくれた。ネギの辛さがあまりキツくないので、水に晒したりしているのかと質問したときも、切って冷蔵庫で晒してるだけ、でも、おいしいでしょ、と笑って答えてくれた。ネギの上にちょこっと辛子を振って食べるのが美味しいんだよ、とも教えてくれた。辛子というのは一味唐辛子のことだが、何箇所かある卓上調味料のセットの中にはなくて、辛子が入ったタッパーが一個だけひっそりとカウンターの上に置いてある。通い慣れていないと、その存在にさえ気づかないかもしれない。おじちゃんの食事は、1日1回は店のラーメンも食べるが、あとはサバの缶詰を食べていて、それが健康の秘訣だともいつか教えてくれた。そういえば卓上にある灰皿は、全部、サバの缶詰の空き缶。それから、注文するときは麺は硬めでオーダーするのが基本で、オレはこの店で普通の茹で加減で食べたことがない。食券の札を出すときに、麺カタで、と必ず伝える。もっとも、おじちゃんは顔で覚えていてくれるので、何も言わなくても、お茶を出しながら、麺カタ? と訊いくれるのだが。お茶も、この手のラーメン屋では今どきはセルフサービスのお冷が置かれていることが多いが、この店では、飲み放題のジャスミン茶をおじちゃんがコップに注いで出してくれる。茶葉から鍋でお店で煮出していて、ふっとリラックスできる、香りの良いジャスミン茶だ。この店に通い始めたばかりの頃は別にそうでもなかったのだが、オレは、2015年くらいから、自覚的に、食、というものに興味を持つようになった。自分で飲食店を始めたということも大きいし、その頃くらいから料理の仕方も変わった。いつからか、化学調味料を自分では使わないようになって、それまでは普通に食べていたようなお店を美味しいと思えなくなったりして、それで、味覚も変わった。化調を嫌だと思うようになってからも、別に無化調ではないのはわかっていたが、それでもこの店のラーメンは、美味しく食べることができた。いつか、そのことをおじちゃんに訊いてみたら、醤油タレには化学調味料が入っているが、それ以外は使っていない、つまり、粉末の化調を入れたりはしていないからだと思うよ、と教えてくれた。美味しいとネットで称賛されているラーメン屋に行ってみたら、大さじくらいの白い粉をスープ1杯ごとに入れているのがカウンター越しに見えて、案の定、食べ終わってみたらしばらく経ってもピリピリと舌がしびれる感じが消えなかったりして憤慨したこともあったりと、化学調味料の味にはセンシティブな方なので、おじちゃんのその話を聴いて、なんだか納得した。煮卵は人気でいつもすぐに売り切れてしまい、仕方がないのでゆで卵を頼んだこともあった。ゆで卵はザルとセットで出されて、ラーメンを待ちながら自分で殻を剥くスタイルだ。切れ端が余ってるからとチャーシューを多めに入れてくれたりしたこともあった。麺カタは茹で時間が1分くらい短いので、他の客よりも早く提供されることも多い。麺カタお先に出しますねー、と言っておじちゃんはいつもオレに丼を差し出してくれた。こうして、長々と、ホープ軒古川橋の思い出を書き連ねて来たが、なんの話なのかと言えば、そのおじちゃんが、故郷へ帰ってしまったのだ。2年くらい前から、そろそろ鹿児島に帰ると思う、というようなことをおじちゃんは話していたのだが、今年が明けてしばらくしたくらいの頃にラーメンを食べに行くと、帰るのが今年の8月に決まったと言われた。おじちゃんは故郷の鹿児島に家族がいて、どういう事情かはしらないが、東京に単身、稼ぎに出てきていたらしい。8月なんてまだまだ先のことだと思っていたのに、いつの間に8月になってしまっていた。何も話さないこともあるし、テレビのニュースで流れる話題のことをちょっと話したりとか、おじちゃんはいつも深夜のテレビでスポーツを観ていて、それでテニスのことを話したりしたこともあったが、話したとしてもほんの数分程度だし、ラーメン屋だから、当たり前だがオレはラーメンを食べたら、だらだらと居座らずに帰る。でも、1回1回は、そんなほんの僅かなものであっても、何十回と食べに来ていたら、けっこうおじちゃんといろいろ話していたんだなぁと今になってみると思ったりする。失恋した夜も、いまいち不本意なセックスをしてしまってなんだか落ち込んでいた夜も、いいことがあった夜も、仕事に行き詰まった夜も、そんなことはこれっぽっちもおじちゃんとは話していないけど、ラーメンを食べに行くと、いつもおじちゃんはそこにいた。おじちゃんの勤務最終日に合わせて、きのうはたくさんの常連のひとたち食べに来ていた。みんな、噛みしめるようにして最後の1杯を食べて、最後はおじちゃんと握手を交わして帰っていく。おじちゃんは、この店でラーメンを作って10年になるらしい。あっという間だったよ、とおじちゃんは笑っていたが、こうして集まっている常連のひとたちも、オレと同じように、オレ以上に、この店におじちゃんが作るラーメンを食べに通いつめていたんだなぁと思うと胸が熱くなり、泣きそうになるのを堪えながらオレは麺を啜った。おじちゃんの作るラーメンはいつだって美味しいが、その美味しさの中にも微妙な振れ幅があって、麺の感じとか、スープの仕上がりとかは、日毎に違う。きのう食べたラーメンは、今まで食べた中で最高の一杯、というわけでは決してなかったが、それでも、まろやかでコクのあるスープはいつもどおりに美味しかった。深夜の1時を過ぎていたが、お店には次々に途絶えることなく、定期的に新しく常連とおぼわしき客たちが現れた。食べ終わった常連客たちは名残惜しそうにおじちゃんと別れの言葉と握手を交わして、店を後にしていく。もやしと麺をめくったら煮卵がでてきて、それを見て気がついたらオレは泣いていた。ラーメンを啜りながら、涙が止まらない。今までの人生で、卵を食べて泣いたことなんてなかった。オレは間違いなくラーメンの分の食券しか出していないし、ここのラーメンには標準では卵はついてこない。厨房の奥で次のお客に出す麺の湯切りをしているおじちゃんの後ろ姿が見える。両肩を動かして、左手に持った平ザルの上の麺に右手の箸を添えて、リズムよく湯切りをしている。この平ザルでの湯切りというのは実は熟練の高度な技術が必要なテクニックなのだが、テボと平ザルとでは茹で上がりがずいぶんと変わる。テボというのは丸くて深みのある麺茹で用のザルで、茹で麺鍋の中でほかの麺と混じり合わないというメリットがあり、食堂とかではよく使われている。時間差で麺を入れることもできるから、客をどんどんさばくことができる上、誰にでも扱える便利さもあるが、鍋の中を麺が泳ぐことができないので、麺にぬめりが残りやすく、テボよりも平ザルのほうが茹で上がりが美味しいことが多い。おじちゃんがオレに出してくれたすべてのラーメンは、当たり前だが、毎度毎度、おじちゃんがこうして平ザルで湯切りをしてくれていたのだ。卵をかじりながら、涙が止まらなくて、オレは泣きながらラーメンを啜り続けた。思えば、ラーメンが食べたいというよりも、おじちゃんに会いに来ていたようなもんなのかもしれない、という気さえもしてきた。落ち込んでいても、嬉しくても、そういうアレコレとは全く関係なく、ニュートラルにいつもどおりに、いつもどおりのラーメンを出してくれる。最近仕事どう? とか、ひどいニュースだねぇ、とか、そういうことをおじちゃんが言って、おかげさまでぼちぼち、とか、ほんとにねぇ、とかオレが答えたりするのだが、どんなに常連になっても、ひとりの客とお店の人、というラインを超えない関係を続けられることも実は嬉しかった。この店に行ってオレが頼むのはどうせ頼むのはいつも同じ麺カタなんだけど、ちゃんと毎回、麺カタでいいのかどうかを訊いてくれるし、頑張ってね、とかそういうことも言ってくれるけど、親しくなりすぎずに、踏み込んでこないニュートラルな距離感でいられるのが逆に居心地がよかった。おじちゃんは、余計なことを言わない、のである。もっとも、そういう余計なことには単に興味がないだけだったのかもしれないけど、そうして、深入りしないような話をしたり、しなかったりして、いつだってラーメンを啜りながらオレののこの店での夜は深けていった。なんだか、いろいろと伝えたいことがたくさんあったような気がしたのに、喋りだしたら涙が止まらなくなりそうで、結局、なにも言えなくて、おじちゃんと握手をして、一緒に写真を撮ってもらって、退職祝いと餞別のプレゼントとして持ってきた日本酒を渡して、オレは店を出た。写真は苦手なんだよな〜とか言いながらおじちゃんは一緒に写真に写ってくれた。帰りの車のなかで、しみじみと、もう5年もこの店に来ていたんだなぁとか、おじちゃんが入れてくれた煮玉子を見つけて涙が止まらなくなってしまったこととかを話していたらまた泣けてきてしまった。撮ってもらった写真を見ると、写真は苦手だとか言いながらもちゃんとおじちゃんはいつもみたいにニッコリ笑ってくれていて、また会えるかもしれないし、もう会えないかもしれないけど、最後の日に来れて本当によかったな、と思った。そして今朝起きて、またきのうのことを思い返していたら、でもなんにも伝えられなかったな、と思えてなんとなくこのままではいてもたってもいられなくなって、朝イチで、仕事の前にお店に顔を出した。一晩ラーメンを作り続けたおじちゃんは疲れた表情を浮かべることもなくいつもどおり、厨房にいた。いままでの感謝とか、いつか鹿児島に遊びに行くからねとか、10年間お疲れ様とか、いろいろ伝えたいことを考えてあったはずなのに、馬鹿みたいだけれど、やっぱり結局、オレはまたなんにも言えなかった。元気でね、じゃ、また、みたいなしょうもない短い言葉しかオレは言えなかったのだが、それ以上なにか言ったらまた泣き出してしまいそうな気がした。おじちゃんに手を振って店を出ようとすると、ありがとうございまーす、と、ラーメンを食べてもいないオレを、いつも通りにおじちゃんは見送ってくれた。朝の店内にはタクシーの運転手が2人いて、それぞれ、黙々とラーメンを啜っていた。何も言えなかったし、おじちゃんだって、いつも通りの、何も変わらない言葉しか言わなかった。でも、仕事に向かう道筋で、この5年のことをいろいろ思い出したり考えたりしていたら、なんとなく、これで十分だし、むしろもう十分過ぎたかもしれないな、という気持ちになってきた。人間同士のコミュニケーションは時としてやっかいで、しっかりと言葉にして相手にわかるように伝えないと伝わらないことも多い。でも、時として、はっきり言葉にして伝えなかったとしても、言葉にして伝えた以上のことが、伝わったりすることもあるのかもしれない。言ってしまえば、ただのサービス煮玉子でしかない。そのへんのラーメン屋でも、スマホの画面の公式クーポンを見せるだけで煮玉子をサービスしてくれたりするとこだってあるし、金額にしたら百円でしかない。それでも、その価値以上の何かが、その煮玉子から、そして短い言葉から、最後に店を出たときの笑顔から、ちゃんと伝わってきた気がしたし、なんとなく、オレの伝えたかったことも、しっかりちゃんと伝わったに違いないような気がした。おじちゃんがいなくなってしまったら、もうこの店に通うことはなくなると思うが、二十代の後半を共に過ごした大切な場所として、心の中にはしっかりと残り続けるような気がする。この投稿を書きながらと校正しながらで3回くらいはまた泣いてしまったのだが、そのせいもあってか、ちょっといつもよりエモーショナルすぎる文章になってしまったような気がしてなんだか気恥ずかしいのだが、まぁ仕方がないか。最後に食べたラーメンと、おじちゃんがくれた煮玉子を、オレは忘れないと思う。何食わぬ顔でひょっこり、麺の中に煮玉子が隠してあるなんて、泣くだろ。ずるいよ。そういえば、さいきんは残すようにしていたが、昔はいつもスープを飲み干していた。きのうは、ひさしぶりに、スープも全て飲んでしまった。

崎山さん、いままで本当にありがとう、鹿児島に帰ってもいつまでも元気でいてね!!!!

 

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