オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

サイゼリ愛

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かつて、10年ひと昔くらい前のオレは、サイゼリアをバカにしていた。

始めてサイゼに行ったのは、中学生のとき。クラスの友達と、学校帰りに綱島ラウンドワンに行ったりして、その横にあったサイゼに時々入っていた。
中学生は金がない。ミラノ風ドリアか辛味チキンばかりを頼んでいた。

4・5年が経って、大学生になって、やはり友達とダラダラ過ごすのにサイゼを使ったりしていた。
その頃のオレは、いまから考えると、食べ物の味をぜんぜんわかっていなかった。いまのオレの食生活を知るひとからしたら信じ難いだろうと思うし、自分でも信じられないが、その頃のオレは、いまだったら日常的には食べないような、カップラーメンだとか既製の調味料だとか安いレトルトカレーだとかコンビニの菓子パンを、平気な顔で摂取していた。

ひとり暮らしをしていた相模原の片田舎の街の隣駅のイオンにサイゼが入っていて、友達とチャリを漕いで食事に行ったりしていた。そのサイゼで、平日の夜遅くに、ひとりでワインを飲む大人を見て、ああいう虚しい大人にはなりたくない、と思ったのをいまでもよく覚えている。
しかし、そんなおじさんに対しても、サイゼリアに対しても、その頃のオレは随分と失礼な態度と物言いだったと、いまになって思う。

サイゼリアにデートで行くことの是非について、何年か前にネットで話題になったことがあった。
大学生の頃のオレは、そのデートサイゼ議論に出てくるサイゼ否定派と同じような目線でしかサイゼリアを見ていなかった。
その議論をきっかけに、サイゼリアを見直すようになったのも確かなので、サイゼデート論争にはある意味では感謝している。個人的に、デートでサイゼに行くかというと微妙なところではあるし、付き合ってしばらく経った相手と行くのかでも、まだ数回しか会っていない相手と行くのかでも違うとは思うが、とにかくまず言いたいのは、価格だけでサイゼをバカにしてはいけない、ということだ。

以前、カンブリア宮殿にサイゼが登場したとき、会長の正垣さんが、創業時のエピソードとして、開業した洋食屋が売れないから値段をどんどん下げて、どこまで下げれば売れるのかを検証したところ、70%オフにすれば売れるということがわかったので、その価格で提供できるようにした、というようなことを話していた。
たとえばサイゼリアのミラノ風ドリアは税込み299円だが、本来はそれが1000円で提供されていたものだと考えると、非常にお得に思えてしまう。もちろん、299円のミラノ風ドリアと、1000円のミラノ風ドリアでは、素材も味も違うだろうが、しかし、299円だからといって、でたらめなものを出しているわけではないのだ。

安さの弊害、というと語弊があるかもしれないが、ここまで安いと、どうせ安いんだし、と安易なバイアスでバカにされてしまうことも多い。
食事に限らずとも、物事の本質というのは、往々にして見極めるのが難しいことが多い。食べ物、飲み物、服、靴、かばん、車、バイク、パソコン、どんなものでもそうなのだが、謳われている触れ込みと、実際の品質が一致しているとは限らない。そうなるとつまりは、あらゆる物事は、本質的には自分の物差しで評価しなければならないということになるわけだが、そのためには基準が必要になるし、また、基準を持たないでたらめな評価は、周囲を失望させたり、自分の評価を下げることになる。
食べ物に関して、ここ数年はほんとうにうるさいくらいにブツブツ言いながら暮らしてきたが、もしかすると、それは基準を作ろうとしていたということになるのかもしれない。基準を作る、と意識してきたわけではないが、味や香りの標準値を知り、自分のなかに基準を形成し、そしてその上で更に自分の好みを見つけていく。
意識してやってきたことではないし、作業だとは全く思ってこなかったが、店で食べる料理から自分で作る料理まで、いままで食べてきた物を通して、そういう基準を作るという作業をしてきたということになるのだろう。
誰かと食事をするとき、そういう基準を、何らかの形で自分の中に持っている人と食事をすると楽しいが、基準を持たずにただ好みだけで批評する人と食事をすると、的はずれな意見や選ぶ食べ物のそのセンスに苛立ったりする。
もっとも、自分の中では客観的な基準・主観的な好み、と別れてはいたとしても、その性質上、完全なる客観というものはそこには存在し得ず、自分の中では客観的な基準だったとしても、それはあくまでも限りなく客観に近い主観としてしか存在し得ない。そこが難しいところなのだ。オレからすると、こいつは何もわかってないな、と思うような、基準が不在の食への評価も、目線を変えれば、オレのいう基準のある評価と、なんら変わらないということにもなる。そうなると、どうやって自分の食への評価の基準に裏付けを作ればいいのかという話になるわけだが、有名なシェフになるとか、食に関する仕事で定評を得るとか、周囲の人からの自身の食に対する評価への信頼を獲得するとか、そういうことが必要になるのだろう。
何の話をしていたのだろう。とにかく、サイゼリアのことを、かつてのオレはバカにしていたわけだが、食に対する評価の基準をいくらかではあるが作ってから、数年前に久しぶりにサイゼリアに来てみたら、感動してしまったのだ。これは松屋も同じなのだが、何も考えずに食べていた頃はその凄さがわからなかったが、ひとまわりすると、価格と提供されている内容を総じた目線で見るよいうになると、感動しそうになることがある。

と、前置きが随分と長くなってしまったが、先日サイゼリアに行ったときに嬉しかったことをいくつか書こうと思ってこのブログを書き始めたのだった。

 

 

卓上調味料がさらに充実

もともとサイゼは随分前から、EVオリーブオイル、唐辛子フレーク、粉チーズ、ミル付きブラックペッパー、が自由に使えて、食卓で味を調整できるようになっていた。客に対して、好みの味に調整してくれ、と言うのは勇気がいることが。しかし、自身の出している料理の味に自信を持つのはべつにいいことなのだが、現実問題として、味の好みは千差万別であり、個人差も大きい。食卓に胡椒さえ置かないし、そもそも用意すらもしない、というラーメン屋があったりするが、それが良いかといえばそうとも限らない。ケースバイケースなのでなんともいえ無いが、ラーメンに胡椒をかけさせない、のは、自分が一番美味しいと思う味を楽しんで欲しいという料理を出す者としての美学であると同時に、客に好きな味を選ばせないというエゴでもある。
プライドを持って卓上調味料と置くのか、プライドを守るために卓上調味料を置かないのか、という話になるわけだが、しかし、結局は、客に好きな味を美味しく楽しんでもらうことを考えたら、置いたほうが良いと思う。

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自分の美学か、客の美味しさだったら、どんな客が相手であれ、原則としては客の美味しさのほうが重要だと思う。サイゼのメニューの紙には「じぶん好み発見」を楽しもう! Make Your Favorite と書いてあった。そんなわけで、いろいろと使い勝手の良い卓上調味料を用意して、客が味を変えることを肯定しているサイゼは、それだけでも十分に素晴らしかったのだが、何を思ったのか、最近のアップデートで、卓上調味料に醤油が追加された。なぜ醤油を置こうと思ったのか気になるところではあるが、料理によっては醤油があるとより美味しく食べられるものもあるとは思うので、とはいえ嬉しいものである。醤油はヤマサの本醸造超特選。個人的には市販醤油ではダントツでヒゲタの本膳を推していて、この超特撰よりも醤油としては本膳のほうが美味しいとは思うが、とはいえ、キッコーマンのガラス瓶の醤油とかではなくて、このクラスの醤油を選んでくれたのは嬉しい。ヤマサの超特選は、分類としては普通のこいくち醤油だが、やや調味してあり、みりん、醸造酢、調味料(核酸)なども加えられている。このあたりが、やはり古臭い人間としては、シンプルなふつうの醤油のほうがいいなと思ってしまうのである。当たり前だが、本膳はわけのわからない余計な成分は入っていない。核酸というのは要はイノシン酸系の旨味成分のことで、イノシン酸は醤油との相性が良いので悪い選択ではないとは思うし、比較的、グルタミン酸よりもマイルドな傾向があるが、とはいえ結局は旨味調味料だ。
以下、ヤマサの本醸造超特選の感想のメモ。塩分濃度はやや高め、香りはキリッと淡いが全体でややパンチに欠け、洋食の料理にいれると負けてしまったり、醤油くささが生臭く感じてしまうかもしれない、旨味は妙に強いが、塩味が前に来てしまい、後味にやや違和感のある甘みと旨味が残る。これは核酸が配合されていると知る前に書いた評価なのだが、妙な旨味の強さが気になっていたので、やはり、と思った。

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消費税増税後も内税で価格据え置き
サイゼくらいの大きな会社だと、2%の増税は決して少ない金額ではないとは思うが、営業努力で吸収してくれている男気…! ミラノ風ドリアはずーっと299円をキープしてきているが、それをちゃんと続けられている経営体力、気持ち、素晴らしいと思う。

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炭酸水が無料と明記された
ドリンクバーの炭酸水、飲みたいんだけど飲んでいいのかどうかよくわからず、ときどきビクビクしながら飲んだりしていたのだが、正式に、炭酸水は無料と表記されていて、嬉しかった。笑
甘ったるいものは飲みたくないが、ヨーロッパの食事は炭酸水が合うと思うので、ドリンクバーを注文せずとも炭酸水が飲めるのはありがたい。

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ちなみに今回は、たらこスパゲティとマッシュルームのスープをオーダーした。
ここまで、これだけごちゃごちゃ書いておきながら、たらこスパかよ、というご意見もあろうかとは思うが、たまに無性に食べたくなってしまうのである。かつてよく行っていたポポラマーマでもたらこスパはよく食べていたし。ちなみに、海苔が乗っているのだが、とくに香ばしくもないし、むしろやや生臭いので、海苔は無いほうがいいような気がした。
マッシュルームのスープは、季節ものメニューなのだが、毎年つい頼んでしまう。きちんとマッシュルームの香りや旨味が溶け込んでいて、すばらしく美味しいというわけではないが、価格を考えると十分に美味しいと思う。そのままでも美味しかったが、粉チーズとオリーブオイルとブラックペッパーで味を整えて食べたら、ワンランク上の味わいになった気がした。

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と、ここでまた気づいたのだが、価格を考えると、というのがサイゼを語る上でのポイントかもしれない。
件のデートサイゼ論争にしても、サイゼそのものは美味しいのだが、価格を考えると美味しい、というがやはり肝になってくるのだろう。価格を考えると美味しい、という店に行ける関係性かどうか、ということの見極めの問題と言い換えることもできるかもしれない。価格を考えると美味しいのだが店が汚い、とか、価格を考えると美味しいのだが中学生がミラノ風ドリアを食べる店だ、とか、そういうような、価格を考えると、が、おいしい、の前に付くような店には、まだ数回しか会ったことのない相手とのデートでは行くべきではない場合が多いし、そういう間柄の相手とは、もちろんオレはサイゼには行ったことがない。


蛇足だが、サイゼの間違い探しはなかなかイカしている。行くたびに夢中になってしまうのだが、今回はわりとあっさりクリアできた。

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と、サイゼを褒めることばかりを書いてきたが、いただけない点もある。今後、是非とも変えて欲しいのが…

 

なぜ赤ワインがキンキンに冷えているのだ?

 

頼んだらワイングラス出してくれてもよくない?

 

というこの2点。いつからか、鮮度管理のためなのかなんなのか知らないが、赤ワインをオーダーするとキンキンに冷えたものが出てくるようになってしまった。ワイン自体の品質は、価格(グラス100円)を考えるとカケラも文句がないので、これは素直に残念だ。キンキンに冷えた赤ワインは味も香りもクソもなく、なにを飲んでいるのかよくわからなくなる。いつぞやなど、デカンタごとドリンクバーのお湯で湯煎して常温に戻して飲んだことがあったが、そうでもしないと赤ラインを楽しめないのは非常に残念である。セオリーでは、白は冷やして、赤は常温で、とされているが、赤だって種類によっては冷やしたほうが美味しいものがあるのはわかるし、サイゼとてバカではないから、冷やしても大丈夫、十分に美味しいと判断して冷やしているのかもしれないとは思うが、個人的にはサイゼのハウスワインの赤は、あの冷たさは美味しく楽しめる冷たさでは無いと思っている。と考えていのだが、隣の席にあとから来た家族連れのお父さんが、席に着くなり家族全員に割り箸を配ったのを見て、まぁワインの温度がどうこう言うべき店ではないのかもしれない、と思ったし、結局、安いということはそういうこと(=客層もそうなる)なので、やはり、デートで来るべきではないことには間違いがないのかもしれない、とまた考え込んでしまった。

それから、ここ数年で、グラス類がすべてプラスティックの割れないものに変わってしまった。べつにドリンクバーのグラスはそれでぜんぜんいいし、何も言わなければプラスティックで出してくれて構わないとは思うが、頼んだらガラスのワイングラスを出してくれてもバチはあたらないのではないだろうか…。なんてね…。

 

ワイングラスはさておき、赤ワインの温度のことは気になるので、どういう考えや意図で冷やしているのか、問い合わせてみようかな…。