オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

暇の効用

 いろいろあって、気がついたら2020も既に半分近くが終わってしまった。この1ヶ月くらい、随分と暇になった。というのも、仕事がほとんど無くなったからで、当然なわけだが、こんなに時間ができたのは久しぶりで、未だにその実感が無い。

 

 コロナに感謝している、というと語弊があるし、悲しい訃報もあったので、コロナ騒動を100%肯定することはできないが、コロナのおかげで、自分にとって本質的な意味で、しなくてもよかったこと、したくなかったこと、を生活から切り離すことができたような気がする。

 

 四月の始め頃まで続いていた日常が、急に壊れて、仕事が全く無くなった。リモートワークに切り替えて続けるような仕事でもなかったので、出勤することもなくなったし、それまでの生活では考えられないくらいに暇になった。そういう暇な生活は初めてではなくて、数年前に飲食店経営から退いたあともしばらく似たような感じだった。早起きする必要もないし、夜ふかしも気にせずできるし、平日も週末も関係ないし、季節を感じる食べ物を求めて出かけたり、気まぐれで舞い込んだ仕事を引き受けたりして、自由に暮らしていた。稼ぎは不安定だったし、金銭的な不安も大きかったが、それでもなんとか暮らせてはいた。その頃と比べて、そりゃあバリバリお金を稼げていた頃のほうがある意味では楽しかった。やりたいことをやったり、欲しい物を買ったりするのにはお金が必要で、お金が理由で出来ないことが減るのは、悪いことではない。だが、当然のことながら、お金と引き換えに、自由気ままな時間は消えた。コロナ騒動が始まるまでは、夕方に空を見上げて缶ビールを開けて近くの商店街まで歩いたりりするような日々と引き換えに、収入を得ていたような気がする。

 

 何事も、きっかけはたいてい外から来る。もう少し続けたらやめよう、と思っていたことは大抵、外的な要因で続けられなくなったりする。コロナで全てがだめになって、どこかホッとしていたのかもしれない、と最近気がついた。コロナが来るまでは、仕事で料理をしていたので、家で料理をすることがほとんど無くなっていた。外に出ていることが多いので、ラーメンとかつけ麺ばかりを食べていた。疲れて帰るので夜は毎日酒を飲む。そんな暮らしから一変して、ほとんど家にいるようになった。出かける用事が全くないわけではないののだが、自粛が奨励されているのをいいことに、どうでもいい外出は全て断った。ラーメンも何度か食べには行っているが、ほとんど行かなくなったし、家で料理をすることが増えた。塊肉を買って角煮を作ったりとか、ちょっと手間のかかる料理も久しぶりに家でするようになったし、カキとアサリとキノコを煮たものを冷蔵庫に冷やしておいて数日かけて楽しんだりとか、そういうライフサイクルが出来上がった。家にずっといると酒浸りになりそうなものだが、意外にそうひどくもない。当然のように酒を飲んではいるが、毎日昼間から飲んでいるわけでもないし、深酒もほとんどしなくなった。酒も飲み飽きた、ということなのかもしれないが、酒を飲んで麻痺させていと思うようなストレスがなくなったことで、不必要に酒を飲む必要がなくなったような気がする。酒というのは、飲めないから飲みたくなるのかもしれない。運転して朝から晩まで出かけていたら、当たり前だが、酒を飲めない。だから早く帰って酒を飲みたいと思う。しかし、酒を飲んでも何も生まれない。酒を飲むことで明日に進める、というようなところはあるが、酒を沢山のんだからといって、なにかをひらめくわけでも、脳が活性化するわけでもないし、たぶん、むしろその逆だろう。

 

 まだ何かを成し得ていない。そう思っている。同世代の友人知人を見回せば、資格を得たり、職能を得たりして、皆、それなりのステータスを築き上げているような気がする。俺はと言えば、何も無い。もちろん、全く何もないわけではないのだが、あるのはみなあくまでも食いつなぐためのささやかなツール、とでもいうようなものばかりで、自身のアイデンティティと言えるようなものは、結局、まだ無い。強いて言えば、よくわからない分野のジェネなリスト、を名乗ることもできるかもしれないが、はっきり言って、それも飽きた気がする。なにか投げたらそれなりのものを返せる、という俺のスキルは、時として重宝されるが、求められるのも返すのも、あくまでも、それなりのもの、なのであるからして、結局、投げられるリクエストの要求度合いもそれなりでしかないし、はっきり言って張り合いがない。たとえば、水道工事が得意なので、ちょこちょこそういう依頼も来る。知恵を絞って課題を解決する楽しみはあるし、誰かの役に立つのは悪いことではないので、楽しくもあるが、ある程度の技術や経験が身につくと、ただの作業になってしまう。何かを習得するワクワクはどんどん減っていく。で、水道工事の専門家になりたいわけではないので、お金がもらえるなら頼まれたらやるし、やれるが、だからといって、その積み重ねの先には、別にたぶんなにもない。

 

 自分の性格からして、何かを成し得た、と心から思うことはなかなか訪れないような気もするが、暇になれた、という点においては、コロナには感謝している。暇のなかからしか生まれないようなものもあるような気がする。毎日の予定と課題に追われて、ただただ忙しく過ごしているだけでは、いつからか、脳の深い部分をあまり使わなくなる。仕事をこなして金を得ることに、喜びはあるが、脳を使い切っている感覚特有の喜びは、ほとんど無い。

 

 コロナ騒動によって得た暇、有効に使いたい。といっても、時間をきっちり有効に使うという意味ではもちろんない。ダラダラしたり、美味しいものを家で食べたり、好きなことをしたりして、それで、飽きてきたころに、何かが見つかるような、気がする。たぶん。違うかな? 違うかもな…。どうだろう?