オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

なんでもないブログ

思えば、ブログを書く人も減ったし、書くことも減った。ツイッターもあるし、もっと違う形の自己表現メディアが、近年ではぐっと増えた。

ふと思い出してこのブログを覗くと、最後に書いた記事は250日近く昔の記事だった。それでも、それだってついこの間のことのように思えるのだが、もう半年以上が経過していることを更新日が示していた。

購読中のブログ、というところを見ると、懐かしい身内のアカウントや、いいなと思って登録した知らない人のブログが出てくる。だが、もう誰も更新していない。笑

5年くらい前で更新の途絶えたブログなどがそこには並んでいる。

10代の頃、ブログは自分に取って、とても大切な存在だった。今見ると間違いなく赤面物ではあるが、酒を飲みながらあることないことを真夜中にブログに綴って過ごしていた。音楽の趣味、興味のあること、そういうものが合う友達が全くいなかった。バイト先の人たちとのときたまの飲み会を楽しみにしながら、一人、居間にあったパソコンに向かって文字を打って夜を過ごしていた。

信じられないことだが、それから15年以上の月日が流れた。その頃から見て、倍生きたことになる、といま考えていて、心底びっくりしてしまった。ラムを一晩でひと瓶飲んで寝ながら吐いて最悪の気分で目が覚めたりとか、眠れなくて夜明けに近所を歩き回ったりとか、寒さに凍えながら軒先でタバコを吸ったりとかして生きていた。そんな若さは、当たり前だが、もう無い。

いま、深夜3時にだらだらとベッドに横になってこれを打っている。特に書きたいこともなかったが、昔のブログを眺めていたらつい筆を取っていた。やや酒を飲んではいるが、あまりまだ酔ってはいない。昼に食べたカレーがまだ残っているような気がして夕飯は食べなかったのですこし腹が減ってきた。昔だったら、こんなときは近所のラーメン屋に行ったりもしたものだが、今住んでいるところの近所にはこんな真夜中までやっているラーメン屋はないし、だいたいコロナで夜は店がほとんどやっていない。

15年前には、コロナウィルスが流行することなんて想像さえしなかったし、倍に年齢を重ねた自分の姿はまったく想像できなかった。父親がいまの俺の年齢の時には、もう三児の父だった。今の年齢の倍の歳になったとき、俺は何をしているのだろうか。そもそも生きているのだろうか。

なにか食べたいような気もするが、まだ胃がもたれているような気がして、積極的に何かを食べようとは思えないし、そもそもベッドから這い出るのが面倒すぎて、さっきからベッドサイドのテーブルに置いてあったブランデーを瓶のまま飲んでいる。階下のキッチンに行けば昨日開けたワインがあるが、いまごろキッチンは極寒に冷え切っているだろうし、とても行く気になれない。

正確な日付はわからないが、ちょうど1年くらい前、知人が死んだ。知人と言うべきなのか、友人と言うべきなのか、あるいは仲間と言うべきなのか、ないしは元恋人と言うべきなのか、わからないが、ひとりの女性が死んだ。デリカシーのない言い方かもしれないが、セックスしたことのあるひとが死んだのは後にも先にも初めてのことだった。その死因に俺は直接は関与はしていないとはいえ、いま思い出しても複雑な気持ちになる。彼女がいまも生きていたら、どうしていたのだろうか。もしいま会ったら、俺は、彼女に、なにを話すのだろうか。

時は流れている。当たり前のことだが、15年が経てば、その分だけみんな歳を取る。少し前に、ひさしぶりにミスチルのライブ映像を見て、その映像に、15年の時を感じた。15年前によく観ていたライブDVDの曲間のシーンで、沖縄でサッカーボールを蹴るまだ30代だった櫻井さんの姿が映っていた。いつか、最高のパートナーをみつけて、その人と沖縄に行ってみたい、とそのシーンを観ながら、かろうじて童貞じゃないくらいのティーン、だった俺は思っていた。

まだ、沖縄には行ったことがない。