オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

なぜ人は、誰かを助けようとするのだろうか

きのうの夜、所用があり、深夜の三茶に行った。

数年前だったら、真夜中の三茶をうろうろするのなんて珍しいことではなかった。そもそもかつては三茶に住んでいたのであり、深夜にスーパーに行ったり、駅の近くで食事をしたりすることも、その頃は日常の一部だった。

それから約2年。夜遅くに三茶に寄ることこそたまにあれど、駅の近くの人が多いエリアに行くことはほとんどなくなった。

買わなければならないものがあって、駅前の西友に寄ったのだが、なんだか、忘れかけていた感覚を思い出したような気がした。

ダボッとした服を着て、キャップをかぶって、タトゥーが入っていて、ちゃらっとした、いや、容姿に起因する偏見を肯定するつもりはないのだが、とにかく、深夜の三軒茶屋にいる若者、という人種を久しぶりに目の前に見て、なんだか、懐かしいけどでもちょっと嫌な気持ちになった。

三軒茶屋で暮らしていたあの頃、仕事の必要性に迫られて深夜に西友に買い物に来たこともあったし、新商品のネタを探して調味料売り場をうろうろ歩いたりしたこともあった。いまとなっては、駐車場もないし、わざわざ昼間にこの西友に来たりすることは全くないので、この西友に来たこと自体がすでになんだかノスタルジックな気持ちにさせる出来事だったのである。

買い物を終えて、車に乗って町を走ると、ベタベタと互いの体を触れ合う男女を筆頭に、夜中の三茶らしい人たちをたくさん見た。

懐かしく思いながら運転していると、道端に転がるようにして横たわる人影があった。

少し気になりながらも、でも通り過ぎた。それで終わりのはずだったのだが、その後でたまたま、買い忘れがあったことに気づき、Uターンして別のスーパーに寄った。スーパーを済ませてまたもとの道にもどると、横たわる人影はあいかわらず同じ位置にいて、先ほどは全く動いていなかったのだがが、今度はよく見ると上下に細かく体が動いていた。

余計なお世話だとは思いながらも、オレはその横に車を停めた。

しばらく様子を見ていると、どうやら、やはり、嘔吐しているようだった。

人々はその真横をただただ通り過ぎていく。

ヒクヒクと体を動かしながら嘔吐している人を、全く意に介することなく、誰もが通り過ぎていく。

伏臥位で嘔吐し続けたら、窒息死することだってありうるわけだし、誰かしら声をかけてあげてもいいんじゃないかな、なんて思いながら見ていたのだが、本当に誰も、立ち止まりさえしない。

仕方がないのでオレは車から降りて、近くのファミマで一番安いミネラルウォーターのペットボトルを買った。横たわっているその人影に近づいて、声を掛けてペットボトルを渡した。そんなとこで吐いちゃだめだよ、大丈夫? 酔って吐いてるとさ窒息死しちゃうことだってあるし、ねぇ帰れるの? なんて調子で声を掛けていたら、人影は起き上がった。ちょっと目のキツイ20台初頭くらいの女だった。

シャツの背中がめくれて、抱え込んでいたバッグの上に吐いていて、カバンと手と服が吐いたもので汚れていた。ペットボトルを渡したときに手が触れて、指の外側にぬめっとした液体がついた。

なんか呼ぶ? 大丈夫? 救急車とか警察とかを呼ぶかどうかを一応聞いてみたが、おうち近くなんで大丈夫ですう帰れますうほんと近くなんでえ、というようなことを途絶え途絶えに口走っていて、窒息したりはしそうな吐き方だった。車にもどってペーパータオルを何枚かつかんで、拭くのに使って、と言って女に渡した。

水を飲む様子がなかったので、ちゃんと水飲んでよ、わざわざ買ってきたんだから、と嫌味のつもりはなかったにせよ、ちょっとだけ釘を指してから、車に乗り込んでオレは立ち去った。車に乗り込むと、女はペットボトルを開けて水を飲み始めた。

 

なぜオレはそんな見ず知らずの女に、そんなことをしたのだろう。

 

どうせ飲みすぎて潰れただけだろうし、それは自業自得。

伏臥位で嘔吐しているのは、誤嚥や舌根沈下の可能性があり、やや危険性はある。

でも何より、たぶん、みんなが黙って通り過ぎていくのが腹立たしかったのかもしれない。

お人好し気質なのかもしれないが、誰かが嫌な思いをしていたり、悲しんでいたりすると、どうしてか、とりあえずなんとかしたいと思ってしまう。

もちろん、自分を犠牲にしてまで誰でも助けるわけではないのだが、それでも、ついつい気がつくと体が動いていたりする。

横たわっている女の子に触れたり声を掛けたりすると、なにかの疑惑を掛けられたりするリスクもあるわけだし、今回の子だって、わざわざ買ってきて与えてあげた水を、感謝もせずに当然のように飲み始めた。

べつに、見返りとか感謝が欲しいわけではない、と自分では思っている。相手が女であれ、男であれ、道端に転がるようにして倒れていたら、とりあえず声くらいはかけるし、なにかしてあげたいと思うが、なんでそういうことをしようと思うのか。

 

見返りが欲しいのか

その対象者と親しくなりたいのか

その対象者に評価されたいのか

そういうことができるくらいに人間性が高いと周囲の人に思われたいのか

 

なぜ、オレはあの泥酔している女を起こして水を与えたのか。

 

と、その動機の部分をこうして考察しているわけだが、もしかすると、しかし、その問いそのものが、わりとほんとにどうでもいいことなのかもしれない。

 

困っているであろう人がいて、手を差し伸べる余裕がたまたまあったから、少しだけ手を差し伸べてみた。

 

ほんとうに。

それだけの話しなのかもな…。 

そんな、三軒茶屋の夜だった。

 

 

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という記事が下書きに入っていた。

たぶん、二年くらい前に書いたんだと思う。

なぜ公開しなかったのかは、謎。

コロナもなかった時代の出来事ですねぇ。

とりあえず、供養がてら、公開しておきます。笑