オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

エゴロジー活動

元来、エコにはあまり興味がなかった。地球のことは大切にしたいと思うが、エコに関する活動というのは、どうしても本質的ではなく、ポーズのようにしか思えないものばかりだと思えうことが多かったからだ。

マイバック、マイ箸、挙げ句はマイスプーン。ゴミを削減しようという考えはそりゃ素晴らしいのだが、所詮は焼け石に水、衛生的で快適な暮らしと引き換えに不便に耐えてまでする価値のある活動なのか。マイなんちゃらは、買ったところで確実に持ち歩くのを忘れるし、そうやって当然のように持ち歩くことができないADHDの人はどうしたらいいのか、などの思いから、わけのわからないその手の活動にはまったく関心がなかった。

プラゴミを減らそう、と言う意図から、製菓メーカーに過剰包装をやめてと訴え出た考えの足りない頭の悪い高校生のことを批判的に書いたこともあったが、個人的な考えとしては、必要だからあるものまで減らすのはやめてほしい、というスタンスだった。

しかし、ここに来て、ちょっとだけ環境のことを考えるようになった。否、考えざるを得なくなった、と言うべきだろうか。昨年末より、ちょっとした郊外に倉庫を兼ねた家を借りた。一応暮らせるようにと設備を整えたりもしているのだが、建物が傾いていたり、台所に給湯がなかったりと、家賃の安さと引き換えに背負うことになった不便は多く、それらを少しずつ解消しながら、いろいろと家に手を入れていた。春も過ぎて、やっと快適に使えそうになってきたという矢先に、庭先の異臭に気が付く。家の周りを囲むように蓋のないドブが流れていて、冬のころからも、臭いドブだとは思っていた。それまでは、近くを通ると変な臭いがするが、通り過ぎてしまえばわからないし、耐えられないほどの臭さではなかった。なのだがところが、夏が近づくにつれ、異臭の度合いが急激に増すようになった。硫黄系の頭が痛くなりそうな強烈な異臭が、ドブの付近を漂っているのだ。ドブの側にあった勝手口から出入りすると、建物の中にも異臭が舞い込むほどの始末である。

キッチンの換気扇を屋内のカビ対策で常時稼働させているせいもあってか、室内に生じる負圧で、外気がたくさんある家中の隙間から屋内に入り込む。すると、朝起きてキッチンに来ると、ドアの開け閉めをしていないのにもかかわらず、室内が臭かったりする。これはもう耐えられない。

まずは風呂場の窓を目張りした。ボロ家とはいえ、何度か手直しをされているので、概ね、アルミサッシなのだが、風呂場の窓だけはいまだ木サッシで、隙間だらけだった。隙間に顔を近づけると、異臭が流れ込んできていた。これはテープでピッチリと塞いでやった。

それから、建物を壊さなければ自分で好きに改造していい、と言われているのをいいことに、建物の反対側に新しく勝手口を新造した。笑 およそ賃貸住宅とは思えない所業だが、これでドブの近くから出入りしなくて済む。なぜ玄関を使わないかといえば、玄関は引き戸のサッシなので、鍵の開け閉めが酷く面倒だからなるべく使いたくないのだ。

区役所の環境課に掛け合ってみると、すぐに現場に来てくれて、いろいろと親切に話してくれたのだが、回答を要約すると、「このあたりは昔からこういう地域で、わたし(その職員の人)が小学生の頃から臭かったし、確かに夏は最悪ですね」という感じだった。人一倍、臭いに過敏で、とにかく臭いものに耐えられないわたしとしたことが、なんというところに物件を借りてしまったのだ…と唖然とするも、家賃の安さや、庭や建物の広さを考えると、すぐにどこか他のところへ移るというのはどうしても現実的ではない。

せめて蓋をしてもらえないだろうか、とも聞いてみたが、それは土木課の管轄だと思うが、すぐにやってくれるとは思いにくい状況だと思う、とのことだった。ドブさらいも、近隣住民が自主的に行うということになっているようだが、老人ばかりの地域なので誰もそんなことはしていない。ドブの底に溜まった汚泥から青々とした草が伸びている姿を見て、もう途方にくれるしかなかった。

区役所の人に悪臭のことを訴える電話の段で、しきりに臭いがする時間帯のことを聞かれた。くさいのに時間もへったくれもあるか、と思っていたのだが、朝と夕の生活排水が増える時間帯に臭くなりやすい傾向があるとのことだった。また、雨が降って流れると臭いがやわらぎ、日照りが続いて干からびると、底の汚泥が露出して臭さが増す、ということも教えてくれた。それから、浄化槽の種類についても、薄々気づいてはいたが、にわかに信じがたいと思っていたことを、改めて教えられた。下水道が整備されていない地域では、各宅に浄化槽を設置して、そこで濾過した汚水をドブに流し込むことになっている。そこで問題になるのが、単独浄化槽、というシステムの浄化槽である。風呂や台所や洗面所などを含む家庭内の全ての排水を浄化槽に集めて、浄化した後にドブに流すという合併浄化槽に対して、トイレの排水だけを浄化槽で濾過して、その他の排水は全てそのままドブに垂れ流しているというのが単独浄化槽である。法的には、単独浄化槽の新設はもう認められていないが、既設のものに対する強制力のようなものはないとのことだった。そして、何を隠そう、我が家も単独浄化槽だったのである。家の水道周りに手を入れている過程でうすうすは気づいていたのだが、どうも、トイレ以外の下水が全てドブにダイレクトに流れているようなのである。そんなめちゃくちゃなことが未だに存在するのか、と思っていたのだが、よく考えると、それ以前に、下水道がない地域というものにも、住んだこともなかったので、入居前にそのことを聞かされて、その時点でも十分に驚いたものだった。

我が家以外の近隣の家庭からも、同じようにして、生活排水が垂れ流されていることを考えると、ドブがくさくなるのは当たり前だ。しかし、かといって、数多の単独浄化槽の世帯を全て改修するのは簡単なことではない。臭いものには蓋をせよ、ということで、最終的にはやはり、ドブそのものに蓋をしてしまう以外に根本的な解決方法は無いような気がするのだが、こうして、環境問題による悪臭被害を実際に自分で身を以て体験してみると、いままでは考えたことのなかったようなことについても考えるようになった。

たとえば、浄化槽で濾過しているトイレに、トイレットペーパーを流しまくっても害はないのだろうか、ということを疑問に思うようになった。調べてみると、やはり、紙質や流す紙の量の多さによっては害となることも多いらしい。紙が多かったり溶け難かったりすると、濾過槽が目詰まりしてしまい、濾過力が低下してしまうらしい。さらには、洗剤に関しても、よくある塩素系のものを多用していると、浄化槽内の微生物が死滅してしまい、汚れを分解できなくなってしまうらしい。

トイレを流した後の水のことなんて、考えたことがなかった。臭いものには蓋がしてある、からして、汚水管の点検蓋を開けたりしない限り、都会の日常生活では、汚水という存在を目の当たりにすることはない。排水口だって、何らかの形でトラップがしてあり、匂いが逆流しないような構造になっている。

都会に整備されている下水の仕組みだって、何でもかんでも下水道に流していることを考えると、決して良い事ではないのだろうが、少なくとも、トイレ以外の生活排水を全てドブに流しているよりは随分とマシだろう。このドブはどこへ流れるのですか? 先の区役所の人との会話の中で、なんとなく答えはわかってはいたような気がしたが、訊いてみた。このまま下って、最後は海ですね。言いにくそうに、区役所の人はそう答えてくれた。

地球の大きさから比べたら、人間なんてほんとうにみじんこ以下の存在だろうし、その小さな人間が多少暴れたところで、すぐに大きな害にはならないかもしれない。だが、長い目でみたときに、生活排水を海や川に垂れ流しているのは、およそ正しいことだとはいえないだろうし、間違いなく良い事ではない。単独浄化槽を合併浄化槽に変えるのには何十万単位のコストがかかるし、地域に下水を導入してもらうのだってそれこそ気の遠くなるような話だ。

残念ながら、今すぐになにかできることはないのかもしれない。きょうも洗剤を使って食器を洗うし、風呂ではシャンプーや石鹸を使い、生きていく。

これは環境へではなく、建物の設備である浄化槽への配慮だが、ひとつの学びとして、水に溶けやすいトイレットペーパーを使う、バイオの力を使った洗剤を使う、などの対策をして、通常の下水に流す水栓トイレとは違うトイレの使い方をするべきなのだ、ということはわかった。

下水に油を垂れ流すひとも多いと聞くし、ちょっとくらいなら平気でしょ、どうせ下水に流れるんだから、という考えもわからなくはないが、こうして、下水の行末について考えていたら、いつのまにか、あれほど興味のなかった環境への配慮について、考えていた。

自分が被害にさらされて、初めて環境について考える。エコロジーではなく、エゴロジーだ。遅いかもしれないが、でも、遅すぎることはないだろう。

とはいえ、たぶん明日からも、マイ箸もマイバッグも持ち歩かないし、ペットボトルだって買う。でも、いままでよりも、ほんの少しだけだったとしても、環境への配慮ができるような選択をできるようになれたらいいな、と思った。

もっとも、目下の問題は家の周りの悪臭であって、なんとか本格的な夏が来る前に、対策したいものであるのだが。