オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

季節の流れ

春は別れと出会いの季節、らしい。

もっとも、季節なんてものは、地球が勝手にそうなっているというだけで、生きている人間にはあまり関係ないのでは、などとも考えたりもするのだが、それでも、季節というのはやっぱり、なんとなく、人間の行動や思考に影響を及ぼしているとも思ったりする。

 

春は嫌いだ。と反町公三は思った。 毛虫に刺されたのもオフクロが十二指腸潰瘍になって入院したのも懸賞で当たったペレのサイン入りサッカーボールを失くしたのも自転車で坂道を下っていて犬の死骸にハンドルをとられ白菜畑まで飛んで転がり目の下に傷をつくったのも上級生に体育館裏に呼び出され殴られた上にオヤジに買って貰ったばかりのシェーファーの万年筆をとられたのもたて続けに受験に失敗したのもハシシで警察にパクられたのも初めてうつ病といううっとうしい病気になったのも季節は全部春だった。そして、今も春だ。窓ガラスの向こうに雨が降っているのが見える。桜の花びらが何枚かガラスに貼り付いていて反町公三の家の庭には桜の木がないからどこか他の家か並木のある表の通りから飛んできたものだろう。本の形をしたカミュのコニャックを飲みながら、反町公三は窓ガラスに映る自分の顔を眺め、春に起こったイヤな出来事の一つ一つを思い出して、それでも今のこの状況が最低なのではないかと考えた。

 

というのは村上龍ストレンジ・デイズという小説の引用なのだが、果たして、オレは自分が春が好きなのか嫌いなのか、いまひとつよくわからない。

 

3月も、もうすぐ折り返そうとしていて、ふと、窓の外の雨に濡れた景色を見ながら、いろいろな春を思い出してしまう。

ここ10年くらいの春をいろいろと思い返して、不思議な気持ちになっている。

季節外れの伊豆の離島に一人で旅した春、初めてセックスした春、ファミレスでバイトを始めた春、受験して大学に入った春、免許を取っていた春、大学を留年せずして卒業できないことが確定した春(結果中退した)、雑誌編集者になっていた春、ハワイに行った春、介護していた春、恋していた春、写真を撮っていた春、別れた春、飲食店をやっていた春、飲食店をやめようとしている春。まぁ春が、というより、この10年ちょっとで、何をしていたのか、というのにも近いんだけど。一緒に時を重ねてきた女の人とか、乗っていた車とか、暮らしていた部屋とか、そういうのをとりとめもなく季節に重ねながら思い出していると、つい感傷

的になってしまう。

 

とはいえ、でも結局は、ただの蓄積に過ぎないというか、生きてきた年数が増えれば、それだけ、出会いも別れも、経験も体験も、単純に増える、というだけのことなのかもしれないな、という当たり前のことに思い至ったりしている、そんな春。

梅の花がちらほら咲いていて、日照りが伸びている。

窓の外を濡らす夜の雨は、そう、春の雨なんだなぁ。

国道を走り抜けるタイヤに、水が弾ける。

 

ところで、最近は、なんだか憂鬱だなぁと思うことが多い。なんでかはわからないけど、憂鬱。

 

春だから、なのかな。

 

きっとそうかも。

 

これから巡り合う、出会いと、そして別れに。

 

感傷と、憂鬱が、ね…。

 

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拓郎の、春を待つ手紙、を聴いている。