オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

さ、まよい

 2022年はあっという間に終わり、2023年になっていた。息を吐く暇もないくらいのスケジュールから解放されると、ふと、心の置きどころがよくわからなくなるような気がしてくる。

 自分が何をしているのか、なにをするべきなのか、そんなのずっと迷い続けてきたような気がするが、いま、一段と迷っている。5周年記念おめでとうございます、というメールがタンブラー届いているのをさっきたまたまメールボックスを開いたら見かけた。タンブラーを開設したのは、食に関する仕事を事業として本格化させたことがきっかけだった。その後、ケータリングを本格化させていくことになるのだが、そのくらいの頃から、5年が経った、ということになる。やはり、一番大きなターニングポイントは、なんだかんだ言って27歳の時に店を始めたことだとは思う。その前も今も、やっていることの本質は変わらないのだが、ひとつの大きな区切りであったとは思う。雑誌の編集者とかカメラマンとか病院の事務とかを完全に辞めて、店を作ったのが2015年。それから1年ちょっとで店を辞め、その1年後くらいから料理を仕事にするようになった。それからちょうど5年が経って、いまだに、自分のあるべき姿がわからないでいる。そんなものは昔も今もわからなかったし、これからもわからないのかもしれないが、されとて、同世代の知人たちが、人により歩みは違えども、確実に皆、キャリアを築いて行っているであろう様をSNSなどで横目にすると、複雑な気持ちになる。

 自由である、ただそれだけが取り柄だったはずなのに、いまでは差し迫る日々の業務に押され、そんなゆとりすらも無くなってしまった。それでふと束の間の余裕ができたりすると、こうして、やりどころのない思いに苛まれるのである。自分がやりたいこと、やるべきことに向き合っている、ように見えるだけなのかもしれないが、少なくとも、俺よりはそうだろう、と思うような人のほうが多い。極論を言えば、やるべきことがある人なんて、誰もいない。みんな、用事があって生きているだけだ。とはいえしかし、自分の専門性を決めて、その道を進んでいる人であるように他人のことが思えてしまうことが多い。そういう意味では、俺は、人よりも専門性の高い分野が多いとは思う。いろいろなことに手を出してきたし、いろいろな職能を身につけては来た。専門性の高い機材や資材もいろいろと集めてきた。対応できる振り幅の広さには自信はあるのだが、しかし、そのどれを取っても、最高位の専門性、とは言い難いと思っている。半端な専門家を上回る自信はあるが、どの分野にしても、トップクラスとは言えないと思う。収支的にはなんとかやっていけているし、20代の頃にくらべたら、お金に困ることも随分と減った。だが、正直、この先が見えない。結婚していて守るべき家庭があるわけでもないし、具体的な目標像があるわけでもない。なんとなくの先行きはそりゃあ見えてはいるとはいえ、その先は、というと全く見えていないに等しい。

 あとはもう一つ、やはり、年齢のことも大きい。著名人と自分を比べることからしておこがましいとは思うが、たとえば先日亡くなった、高橋幸宏さんが俺と同じ年齢だったことにしていたであろうことを考えると、俺は何もしていないに等しい。20代の頃は、まだ駆け出し、という人も多いし、なかなか努力が実らずにもがいていた著名人だって多いとは思うが、しかし、30代も半ばになると、そうも言っていられなくなってくるのである。要は、燻っている、ということなのかもしれない。自分のポテンシャルを発揮することができると、より人生の充実感を得やすくなるのではないかと思うのだが、もっともっと、もっともっともっと、ポテンシャルを発揮したいのかもしれない。とは思うものの、そもそもそんなポテンシャルが自分にあるのかどうかもわからないし、俺にできることが世の中に求められていないのかもしれない可能性だってある。嗜好が多様化し、評価の対象が分散した結果、大きく飛び出た才能というものが世の中から減ったような気がする。昔みたいに、飛び出て目立つ人、というのが減ったような気がする。かといって、いまの俺は、何もしていないに等しい。何も成し遂げていないし、やりたいこともやるべきことも、あんまりできていない。

 自分の好きなものを仕事にできている、という人のことをうらやましく思ったりもする。でも、好きの度合いは客観視することができないし、お前には好きなものはないのか、と言われるとそれはそれでよくわからない。それなりに好きなことをしている、という自覚はもちろんあるし、そういう意味ではそう悪く無い日々を送れているとは思うのだが、しかし、これが俺だ、と言えるようなものは、いまだに手に入れていない。

 と、こんなことを書いたことで何になるわけではないのだが、ふと、立ち止まったので、書いてみた。本質的な悩みはこの10年くらいの間、なんら変わっていないような気もするがよくも悪くも、少しずつ、いろいろと変わったり、変わらざるを得なくなったりしてはいる。2023年も1/24が過ぎてしまったが、良い一年になるといいな、と思いながら筆を置きます。