オシャレな人はパクチーばかりいつも食べている

パクチー食べません。コメントください。

失われゆくもの

いつかは…とは思って覚悟はしていたが、いざ現実になってしまうとやはり悲しいものである。

この場所に通い始めてもう何年になるだろうか。

人生に悩み、恋に悩み、と言うとなんだか大げさだが、そんなふうになんだかモヤモヤしたりしたときには、夜中だろうと雨上がりだろうと、ここに来て、ひたすら壁に向かってボールをうち続けていた日々があった。

都内ではほぼ唯一とも言える、深夜にも打てるコートだった。殆どの壁打ちコートが、近隣住民のクレームの問題から、18時くらいをすぎると使用禁止になってしまうが、そんななか、誰も住んでいないこの陸の孤島のような公園の壁打ちコートは、24時間開放されていた。 

腕が上がる程に、少ない明かりでも安定してボールを打てるようになった。

下手くそだったころは、暗くなると全然ボールが続かなかったが、ある程度の上達を境に、真夜中でも楽しく打ち続けられるようになった。

壁打ちがどれくらいにテニスというスポーツそのものの上達に効果があるのかはわからないが、少なくとも、思っている場所にボールを打ち返せるスキルは、継続して壁打ちをしたことで、確実に向上した。

この公園には、海が見える謎の東屋のようなものがあって、昔はそこにおじさんが住んでいた。初めて訪れたのがいつだったかをはっきりとは覚えてはいないが、インターネットで地図をみて、自転車で来たりしていた高校生1年生くらいの頃だった気がする。たぶん、2004年くらい。その東屋で、夕日の中、高校生のオレは海をみていた。隣の隣のベンチには、夕日に染まったおじさんがいた。おじさんは確か本を読んでいた気がする。キャンプ用品だとかスーパーのかごだとか、そういう生活に使っている道具のなかに埋もれてベンチに座り、本を読んでいた。ホームレスのひとも本を読むのか、とそれを見てその時のオレは思った。どんな本を読んでいたのかが気になったが、たしかわからなかったし、その時わかっていたとしても、詳しくはもう覚えていない。

その後、公園の改修工事でその東屋が閉鎖されてしまい、おじさんはいつのまにかテニスコートの脇に引っ越していた。新たな場所に立派なテントを建てて、そこで暮らしていた。テントの前にはタープのような屋根のついたスペースがあって、そこには調理台や水タンクなどもあって、おじさんは料理をしたりしていた。昼間には自転車で空き缶集めに出かけたりもしていたようだった。おじさんのテントにはラジオもあったし、蚊取り線香もあった。夏の暑い頃には、テントの外にキャンプ用のベンチを夜通し外に出して、おじさんはそこで寝ていた。

自主制作の映画を作ろうと言って、そのロケ地としてこの公園を使ったこともあった。夏の暑い日で、傾きかけた午後の日差しの中にビー玉が輝いていた。出会って間もない、まだ10代だったあの子もいた。

それから、そのもっと前には、ミクシーで出会った、アラバマというハンドルネームの女の子と真夜中にこの公園にきて、ギターを弾いて一緒に歌を歌ったこともあった。ギターにあわせてブルーハーツとかハイロウズとかをふたりで歌ったその翌朝、オレは荷物でパンパンのホンダ・フィットに乗って、栃木の足利市に、2輪の合宿免許に行った。足利では毎日温泉に入って峠道をフィットで攻めてブックオフで買った小説を読んで部屋の暖房をがんがんにかけてベロベロになるまでひとりで酒を飲んでいた。そのアラバマというハンドルネームの女の子とは、その夜以来、会ったことがない。

晴海埠頭客船ターミナルは、中学生のころに、ゆうきまさみの漫画で知った。機動警察パトレイバーの最終局面のワンシーンに登場していた。嵐の中、豪華客船に乗って逃亡しようとする内海をSSSのジェイクが撃つシーンの背景になっていた。漫画の中に登場した施設がこの施設だったということを知ったとき、記憶のなかでモノクロだった円形のベンチの色が、実物では朱色で、そのときの色のインパクトは、けっこう大きかった。

バイク雑誌の編集者をしていたころには、ロケでもよく来ていた。もう何年も前に閉店したが、まだそのころには客船ターミナルにレストランがあって、ロケの昼食をそこで食べたりしたこともあった。

前置きが長くなったが、そんなふうに昔から来ていた、かつては東京港の玄関だった晴海埠頭の公園、晴海ふ頭公園だが、2017年の10月1日をもって休園になったらしい。

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平素より晴海ふ頭公園をご利用いただき、ありがとうございます。
晴海ふ頭公園は、平成29年10月1日より休園となりました。

長らくご愛用いただき、誠にありがとうございました。

 

晴海ふ頭公園は東京2020大会で選手村エリアとして使用されたのち、水辺の魅力を活かした開放的な緑地・広場を配置するなど、皆様に一層親しまれる公園へとリニューアルし、再び開園する予定です。

再開園の時期については決まり次第、別途お知らせいたします。

公園利用者の皆様方には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解のほどお願いいたします。

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と、公式HPには書いてあったが、この休園というのは事実上の廃園に等しい気がする。

同じような設備はもう戻らないだろうし、壁打ちコーナーも、たぶん、もう出来ないような気が、なんとなくする。

意味もなく広いバーベキュー広場や、枯れた噴水や用水路、謎の橋、そういう無駄なものにに溢れた公園だった。開園したのは1975年らしい。そのころの晴海エリアがどんなふうだったのかは知らないが、たぶん、埋め立てた土地が余っていたんだろうなという気がする。客船ターミナルは91年の5月に供用を開始している。バブル期に設計・建設され、バブルが弾けた直後にオープンした、ある意味で悲劇の施設なのかもしれない。

晴海ふ頭公園の前の道路は、長らく、駐車禁止の規制がなかった。都内では珍しく、車を停め放題の道路だったのだ。車で遊びに来たときはいつも停めていた。真横には白バイの訓練施設があって、訓練する白バイたちを苦い気持ちで眺めながら車を停めていた。

 

ついこの間も、ここに壁打ちに来たような気がしていた。

昨日の夜、帰り道にすこし寄って壁打ちをしようと思ったら、完全に閉鎖されていた。

正直なところ、けっこうショックだった。もうあのコートでは壁打ちも出来ないのかと思うと、寂しいし、悲しい。

さようなら、ありがとう、晴海ふ頭公園。