気づいてしまったノデアール
どうでもよくないことを探して生きていた
はずなのに、どうでもいいことに溢れた暮らしをしてやいないだろうか
してもしなくてもいいことをしないで生きたいと思っていた
はずなのに、そんなことばかりをして暮らしてはいないだろうか
別に誕生日が近づいたからというわけではないのだが、ふと、本質から程遠い、物事の上澄みをなぞるような日々を過ごしていることに気がついてしまい、いま、とてもゾッとしている。薄々感じてはいたが、どうにも、このままではまずいような気がするぞ、と。
退屈と憂鬱はワンセット、なんていう歌詞もあるが、おかげさまで最近はわりとやや忙しい。暇になると退屈になるし、忙しいと憂鬱になる。つまり、憂鬱なのだ。なんでまたこんなことを考えているのかといえば、収入的にはやや好調になりつつあるから、という気がしている。めちゃくちゃ稼いでいるわけではないが、それなりに安定した収入を得られるような暮らしにはなってきている。お金に困っているとき、なんとか少しでも多く稼がなくてはならないとき、そういうときには、どうでもいいかよくないか、の尺度に、収入になるかどうか、という項目が入る。故に、冒頭で書いたようなことを悩んだりすることも、必然的に減る。本来はそれがどうでもいいことだったとしても、所得になるようなことなのであれば、それはどうでもよくないことになる、という算段なわけである。
収入、生活、貯蓄、そういう概念以外の部分で、重要だと思えることを維持できないと、途端に暮らしは憂鬱になる。
というのを5月の終わりに書いていた。